18番 住の江の 藤原敏行(業平の相婿です★)
住の江の 岸に寄る波 よるさへや
夢の通ひ路 人目よくらむ
<君は夢の中でさえ
人目をさけて 僕を訪れてはくれないの?>
この歌も私の好きな歌のひとつです。
美しい音でなだらかに歌が流れ、イメージも想像しやすいです。
作者の藤原敏行は、在原業平とは奥さん同士が姉妹でした。
この相婿は、色ごのみという点ではいい勝負だったようです。
業平といい勝負なんて、業平もびっくり。
歌人として有名で、三十六歌仙の1人に選ばれています。
能書家としても才能を発揮していました。
美しい字と歌を武器に、女性をうっとりさせていたのでしょう。
好きこそものの上手といいますよね。せっせせっせと文を書いている姿が思い浮かびます。
ちなみに敏行さん、『宇治拾遺物語』によれば閻魔大王の帳面には
善事がひとつもなくて悪いことばかりだったようです。
『宇治拾遺』の作者も容赦ないですね。
生きていればひとつくらいいいことあるでしょうに・・・見てきたわけでもないのにね(笑)
16番 たち別れ 在原行平(業平の兄です☆)
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば いま帰り来む
在原時平さま、業平さま。
この兄弟は平城天皇の血をひく高貴なお2人。
時平は業平より3つ年上の異母兄です。
歌と女性を口説くのが上手で出世はさっぱりな業平とはことなり、
行平は民政に手腕を発揮した有能な官吏でした。
また、権勢をふるっていた関白藤原基経としばしば対立した気骨あふれる政治家でありました。
順調に出世を進めていた時平ですが、一時須磨に籠居しなければならず、
というのも、弟業平の基経の妹高子とのスキャンダルのとばっちりを受けたからであり、
千年以上昔から兄弟の構図~自由な弟にふりまわされるしかっり者の兄~
というのは変わっていないんだな、というのが
ちょっと面白いですね。
63番 今はただ 藤原道雅(業平子孫疑惑その五)
今日ご紹介する歌で、業平さま子孫疑惑シリーズは完結です。
この歌も私の大好きな歌です。
先日ご紹介した儀同三司母の孫にあたる藤原道雅と、
三条院皇女で伊勢斎宮当子内親王との恋の中でうまれた珠玉の歌です。
三条院も百人一首68番に歌が入っています。
道雅と当子、この2人の恋愛こそまさに悲恋。
業平も敦忠もこの悲恋に比べたらまだまだ青いというもの( ̄* ̄ )ではないでしょうか?
そもそもの悲劇は、
藤原道雅が中関白家に産まれてしまった事です。
藤原道長の長兄にあたる藤原道隆が亡くなり、
中関白家は政治生命を断たれたも同然でしたが
それでも道長の息子たちの執拗なまでのお家つぶしにあいます。
当子内親王も、父君の三条院の並々ならぬ寵愛をうけながらも、
母君の身分が高くなかったために、斎宮のト定を告げられます。
斎宮は未婚の内親王や女王の中から占いで決められていましたが、
寵愛の薄い方、母方の身分が低い方が選ばれていたので、
必ずしも平等ではなかったようです。
道雅が21歳の時に当子内親王が野宮に入る儀の前駆を任されます。
きっと2人にはこの時から、感じるものがあったのでしょう。
当子内親王が御世代わりで16歳で退下され、密会を重ねます。
しかしその噂はすぐに広まり、父君の三条院の逆鱗に触れ、
当子はほとんど軟禁状態になってしまいます。
二度と会うことが叶わなくなった恋人に道雅が送った別れの歌。
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで いふよしもがな
<君の事をあきらめるよ、と
直接会って
伝えたいだけなのに>
・・・この歌はこせこせと余分な訳はつけられませんでした。
それはこの2人の思いが、ただシンプルに伝わるからです。
この歌人でもない普通の男性の歌が、千年の時を超え、こんなにも現代の私たちの心に響くことが、
私はとても嬉しいのです。
この後、当子内親王は出家し23歳の若さでこの世を去ります。
道雅も妻に出ていかれ、もともと素行が悪いのにさらにやけになり、
「荒三位」とあだ名をつけられるほどになってしまいました。
道雅は63歳で亡くなります。
晩年は当時活躍していた歌人たちと親交を深め、歌会を催したりしたようです。
つらいことの多い人生でしたが、最後は心やすらかに過ごせたのではないでしょうか。

