百人一首 ときどきカクテル -2ページ目

美しく心地良い歌 



気が付けば、18日に更新してから、全然記事が書けていませんでした。


1日一日がめまぐるしく、


他の方のブログをチェックするのが精一杯で、


自分のまで手がまわらず・・・




いえいえ!こんなときこそ、美しい歌で、美しい言葉の音でこころを落ち着けなくてはなりません。


今日は私のとっておきの歌。



久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらん



この歌の音が何とも言えず好きなのです。


このハ行音の耳に心地良いこと、これ以上はないです。


作者は紀友則。


私の愛読書「土佐日記」の作者、紀貫之のいとこです。


詳しくはまた後日、ご紹介したいと思います。

54番 わすれじの 儀同三司母(業平子孫疑惑その四)





わすれじの 行末までは かたければ



今日をかぎりの 命ともがな



<君のことは忘れない、愛してる


そうあなたは言ってくれたけど、先のことはわからない


ならこの幸せな時のまま、死んでしまいたい>



作者は儀同三司母。名前は高階貴子といいます。



この方を業平の子孫疑惑で取り上げるのは少し気がひけます。


それは、業平の子孫ということで、彼女の人生は大きく暗転したからです。


正確に言うと、伊勢の斎宮であった恬子内親王と業平の不義密通の子の子孫、


つまり伊勢神宮に後ろ暗い部分がある一族であるということで、


自身だけでなく、息子、娘まで窮地に追いやってしまったのです。




斎宮恬子が産み落とした男の子は伊勢権守兼神祇伯であった高階氏が、


師尚と名付け養子にしました。


彼のひ孫にあたるのが高階貴子です。



彼女は円融天皇の宮廷に女官として仕えていました。


美しく、宮中でも有名な才女の彼女にほれ込み口説き落とし、妻にしたのが、


藤原道隆でした。


藤原道長の一番上のお兄さんです。


長男だった道隆は父親の後をついで、関白になり、息子の藤原伊周、隆家もどんどん出世し、


清少納言が仕えたことで有名な定子は一条天皇の中宮になりました。




しかし、その栄華は長くは続かず、


大酒のみがたたり、43歳で道隆が亡くなると、一家にかげりが見え始めます。


後ろ盾をうしなった伊周はそれでも果敢に政権争いに挑みますが、


関白に就任できなかったのは、伊勢神宮に憚りのある高階家の血をひいていることが原因でした。


一方、一条帝の寵妃、定子が産んだ敦康親王が王位につけなかったのも同じ理由からです。


自分の存在が一族を追い詰めている。


貴子はどんなに心を痛めたことでしょう・・・。




余談ですが、定子の子、敦康親王の王位継承がふさわしくないと進言したのは、


藤原行成。三蹟の1人です。


行成と清少納言はとても親交が深かったようですが、


この進言のことを、彼女は知っていたのでしょうか。




とにかく、150年の時を越え業平さま、罪深い・・・


43番 あひみての 藤原敦忠(業平子孫疑惑その三)




まだまだ続く、業平さまの子孫疑惑。


でも今日ご紹介する方は疑惑ではなく、れっきとした子孫です。




あひみての のちの心に くらぶれば



昔はものを 思はざりけり



<君が僕のものになった


嬉しいはずなのに、それと同じくらい切なさや苦しみも増えた


物思いが多くなった


それと比べ、今までの僕は単純だった


ただ君とのハッピーライフを考えているだけだったんだから>




客観的に自分を見つめている大人な歌だと思います。


作者は、権中納言敦忠。


菅原道真を左遷に追いやった悪者、藤原時平の息子です。


母君が在原棟梁娘で業平の孫にあたり、とても綺麗な方だったようです。



敦忠さん歌も上手かったですが、琵琶もかなりの腕前だったようです。


美男で、やたら女性にもてている感がいなめません。


時平の弟、仲平(百人一首19番伊勢の恋人)の娘、明子や


百人一首源等(百人一首39番)の娘や、


藤原玄上娘たちを妻とし、


百人一首右近(百人一首38番)とも恋仲でありました。



そして私がピックアップしたい敦忠の恋人、それは


醍醐帝皇女の雅子内親王です。


注目は彼女が伊勢斎宮だということです。


結局この恋は、結婚真近で雅子内親王のト定によって引き裂かれてしまいましたが、




ご存知でしたか?


在原業平も斎宮(文武帝皇女恬子内親王)と恋仲になっているのです。


現職についている斎宮と性的関係になってしまったので、


こちらは完全な禁忌です。


その間に産まれた男の子が、高階氏にひきとられ、


その子孫に藤原道雅(百人一首63番)がいます。


彼にも斎宮(三條帝皇女当子内親王)との悲恋があります。




在原業平の血は、斎宮との悲恋を脈々と受け継いでいるのかもしれません。


業平は悲恋だったかどうかわかりませんけれど☆