日本人のアイデンティティと日本語人の思考方法 | 社会の窓

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思いついたこと、よく分からなくてトモダチに聞きたいこと、日々の近況など書き留めておいています。


日本人とは何か、民族の定義は問えば、さまざまな諸説があり定かでないだろう。日本国籍をもつ日本国民であるか否か現状ではかなり明確になっていると思うが、これも法律という視座から眺めたばあいというもので。全体を包括するものではない。さまざまな日本人の日本アイデンティティのあり方が多元的に共存してもいいと思う。その中に日本語で会話し、思考するといった、日本語人ともいうべき人びとがあってもいいだろうし。ひいては日本人、日本アイデンティティのひとつの要素としてあっていいと思う。さまざまな日本人としてのあり方、生き方、人生のあり方がってもいいとおもう。法学的にみた日本人があり、血統的遺伝子的に容姿や身体的特徴を継承した日本人があり、文化的な視点からの日本人、日本語を使う日本語人があり。これみんな日本人であり、家族、同胞、仲間、友人、流行の言葉でいえば絆で結ばれているのである。 決して異質のものが混ざり純粋性が失われる、というものではないだろう。そもそも人間や家族は、違う性の者が交じり合わなければ成立し得ない。
日本からの支援があってもしかるべきだろうという意見もあるが。この支援のあり方というものが、日本国の現状では政府や国粋主義、民族主義的グループや経済界のビジネスの拡大によるものであっては、かえって洗練された日本文化の広まり、日本人アイデンティティー成立の障害となるだろう。 それよりももっと身近なことからでも、日本語の文化をより洗練されて広がりの或るものにすればよいとおもう。マスメディアや芸能、娯楽、たとえばテレビのバラエティー番組でも、洗練された日本語を用いればよいだろう。インターネット上の書き込みなども身近に世界中の人びとがアクセスすることができるものなので、言語も洗練されたわかりやすい言葉を選び、言論も世界中の人びとが受け入れ考えるに値する意見を発表するのがよいだろう。 
福山克也