最近立て続けに起こったちょっとした事件や、

カウンセリングをしていて感じる共通点。

 

それは「思いやり」。

 

 

 

この言葉、もう死語になってしまったのでしょうか。

 

あまり聞きません。

 

思いやり。

 

皆さんも一緒に考えてください。

 

「思いやり」ってどういう事でしょうか。

 

 

 

相手を思う。

 

人を思いやる。

 

 

国語辞典で引くと。。

 

・ 他人の身の上や心情に心を配ること。また、その気持ち。同情。

・想像、推察

・思慮、分別

 

と出てきました。

 

 

 

いずれも統合して考えると私が思うには、

 

1、相手の立場に立って考えられること

2、客観性

 

だと思います。

 

 

 

しかし今の時代、1、2のいずれもがなくなり

つつあります。

 

なぜないのでしょう?

またそれなら昔はなぜあったのでしょうか?

 

 

 

 

私の母は古い話ですが、戦争を体験しました。

 

母によれば

 

「あんな怖い、辛い思いを体験すれば、
他は何でも我慢できる」

 

と、言っていました。そして

 

「命に関わる重大な事」

「いつ死ぬかわからない」

 

とも言っていました。
つまり命に直結していたのですね。

 

 

ところが今は時代が平和で豊かです。
ウクライナでは戦争が起こっていますが。。

コロナもなんだか慣れてきました。

 

 

だからすごい病気でもしなければ

命に直結はしないし、毎日「命」についてなんて、

健康な人は考えません。

 

 

 

でも昔は戦争や貧しさ、病気のなどで、

「命」や「死」が身近にあったのだと思います。

 

だから死なないために、ちゃんと生きるために

「思いやり」という気持ちが育ったのだと

思います。

 

 

 

私が関わったちょっとした事件、カウンセリング

から感じることは、全て「平和」「豊か」から
生まれたある種の贅沢病。

 

 

つまり辛い経験、耐え難い経験やそれらから

生まれる考えや思いが育っていないことです。

辛い経験がないから、「思いやり」が育たない
のです。

 

またもっと広い目で世の中を見ないと、

全ての不幸を背負って生きているような

錯覚になってしまっている人もいます。

 

 

今、この時、病気で苦しんでいる人、

戦争で死にそうになっている子供たち、

その他、命がかかるほどの苦しみを

味わっている人がいるという事を、

平和な私たちは感じなければなりません。

 

 

心の時代か、体の時代か、という言葉を

聞いたことがあります。

 

体の維持を思いやることに必死の時代が、

体の時代。心なんて考えてる余裕のない

時代。

 

反対に心の時代は、体より心に焦点があり、

これで良いのかと常に心を考える時代。

 

 

しかし正直、今は心の時代でもない気が
します。

 

なぜなら「これでよいのか」と、客観性を

持って考えられない人が増えているからです。

 

 

思いやり。

 

一方的な相手に負担になる迷惑な思いやりは

困りますが、

 

「本当に相手の立場に立って考える」、

 

という事を考えてみたいですね。

私も考えます。最後に私の尊敬する

松下幸之助さんの言葉です。

 

 

 

人を生かすことで一番大切なことは配慮だ。
人に対する配慮、思いやり、共感がなければ、
人を動かすことはできない。

                    松下幸之助