おはようございますニコニコ


昨日大神神社に行く車の中で、途中まで書いた内容で、
先日書いた「自分で考える」の続編です。


今日は「予想する」、競馬ではありません(笑)


ピアノのレッスンで生徒さんが「練習してこない」は、
多くの先生の長年の悩みの種かもしれません。(楽器の
先生全般でしょうか)


そして現代はそれが「当たり前化」しつつある事
かもしれませんが、ではなぜそうなるのか?


前回も書いたように、子供たちに時間がない事も
大きな理由ですが、それよりも「予測する」という
能力が落ちているように思います。


私の子供のころはレッスン日が迫ってきて、
あまり練習できていないと

「今週はあまり練習していないあせる

と必死になりました。


そしてそれは何日前から感じるのか、
練習を頑張り始めるか。


これが大切です。


もちろん、レッスンが終わった日や次の日から
楽しく早くと練習に取り掛かる、という方が良い
ですが、

ごく普通の子供にとって、毎日の練習が「日常」に
なってくると、「毎日の練習が楽しい」という事が
当たり前になり、新鮮さがなくなり普通の感覚に
なる事は仕方ないと思います。


これはピアノだけでなく、どんな習い事も
そうかなと思います。


それでもレッスン日が近づいてくると、

1、練習が足りているか
2、次のレッスン日までにある程度弾ける事が、
  時間的に間に合うか

などを私の子供のころは本能的に感じたものです。


これは生活の中にいろいろな意味で「不安」が漠然と
あったため、自分の身を守るために、感を働かせざる負え
なかったから、予想したり察したりすることがごく普通に
身についていたのだと思います。


ある種の、まさに動物的な直感的部分かもしれませんね。


私の場合、ピアノを例にとると子供のころは
今のように大阪でも、ピアノの先生があまりおられま
せんでした。


ですので教室までは非常に遠く、1人でバスに乗っていくと
1時間はかかり、行った順番でのレッスンでしたので、自宅が
遠い私は、行くのが遅いため平均2時間ぐらいいつも待たされ
ました。


今思えばのんびりしたお話です。1日先生は平均30人ぐらい、
レッスンしておられたのではないでしょうか。


そして夜道が暗いとか、ピアノのレッスンも遠い距離を
自分で行かなければならない、楽譜はポンポン買ってもらえ
ない(親に気を使うという意味で)など、ピアノだけでも
結構練習以外に、気合をこめてレッスンに通っていたと
思います。後つけるなら、先生がとっても怖かった!(笑)


こんなことで、楽々とおけいこに通っているという感覚は
ありませんでした。それでもメロディの美しさや、新しい
曲を知った喜び、「○ちゃんより難しい曲が弾けた!」など
いろいろな刺激を受けました。


今から考えると、行った順番で2時間も待つなど考え
られませんが、その間他の人の音楽を聴く事で

1、次はあの曲を練習するんだ
2、この曲が弾けるよう頑張ろう
3、○ちゃんには負けないようがんばろう
4、×ちゃんはこんな間違い方をしている
5、○時までに行かないと待ち時間が長くなる
6、自分の順番をよく見ておかないとレッスン順を
  ぬかされる


など、レッスンまでに毎週まいしゅう学習することは
いろいろありました。上記の4を除くと、これらの
ほとんどは「予想する」「お友達のレッスンを見て
自分を見る」という作業です。


長く待つのは無駄な時間だと思いますが、今考えると
大きなプラス作用があったのだと思います。


親に言われてとか、いやいやしているとかいうものでは
なく、「自然に人を見て予想する」という事が、無駄な
待ち時間からできたのですね。


何かが便利になれば何かが失われる。
得たものがあれば何かを失う。


その大きなものの一つが能力です。そしてその中でも
「予想する」は子供の将来に関わる大きな影響力です。


今さら2時間待ちにレッスンはできませんが、
この予想する感覚を失わせないよう、またできれば
発達するよう、日々のレッスンで何ができるか
考えていきたいです。