不妊ストーリー「ふぁいん・すたいる」キャリアをあきらめて、探した自分の居場所 ●堀田敬子さん | NPO法人Fine ~現在・過去・未来の不妊体験者を支援する会~スタッフブログ

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スタッフは、全員が『不妊体験者』です。

こんにちは!(^^)!Fineメンバーたまこです

 

不妊治療を何歳まで、あと何回

お金が続く限り

でも、今回ダメだったら

続ける?あきらめる?

私にとって、不妊治療を辞める決断は

なかなかできませんでした。

 

「不妊」って、なんなのでしょう。

皆さんにとってはどうですか?

 

Fineのホームページでは、

それぞれの「不妊ストーリー」を「ふぁいん・すたいる」と題してご紹介していますが

今回は、 堀田敬子さんのを「ふぁいん・すたいる」ご紹介します。

 

●流産を機に退職。仕事を辞めたことを後悔●
女性総合職の先駆けとして頑張ってきた自分が好きだったのですが、流産したことで私の中の「仕事と子ども」の優先順位が変わりました。「仕事はまたできるけど、出産には年齢の限界がある」と自分を納得させました。また、そのときは「すぐに妊娠・出産して仕事に戻れる。多少のブランクはなんとかなる」と思っていたのです。まさか治療が長引いて、二度と同じような環境で仕事ができないとは思ってもいませんでした。
不妊治療専門クリニックで体外受精にトライしたものの、なかなか妊娠しません。この頃の私は「結果の出ない不妊治療」をしている人。仕事を辞めた私は「母親になること」でしか、地域や社会に居場所を作れないと思っていました。キャリアを中断して選んだ不妊治療、「子どもを授かること」が成功だと思って治療に向かい、自分を追い詰めていました。退職から1年、仕事の大切さをあらためて感じて、辞めたことを後悔し始めていました。

●転勤と就職。カウンセラーの道へ●
夫の転勤で東京から沖縄へ。仕事を見つけ、半年ほどして通院を開始しました。3回目の体外受精のとき、採卵時の炎症が原因で入院しました。体を休めていると体調がよく、治療を休むことを意識しました。その頃、友人が「子どもがいてもいなくても、母親であってもなくても、私たちの関係は何も変わらないよ」と声をかけてくれました。何者でもない私を「あなたのままでいい」と認めてくれる人が、ちゃんといたのです。また、職場や地域の人たちとも楽しく過ごしていたので、子どもがいなくても自分の居場所があると感じました。40歳、いつしか治療よりも仕事のことを考えるようになり、通院が間遠になってきました。

続きはこちら

 

 

 

福岡市にカウンセリングルーム with を開いている堀田敬子さん

日経新聞 10/23の朝刊には、不妊治療と仕事 両立の悩み、分かち合う伴走者にとの記事が掲載されています。

 

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