京都散歩〉豊臣家の滅亡のきっかけのひとつ 天台宗方広寺 | 親子交流(面会交流)支援団体の代表であり、お坊さんでもあり、母でもある私の日々徒然日記

親子交流(面会交流)支援団体の代表であり、お坊さんでもあり、母でもある私の日々徒然日記

一般社団法人びじっと・離婚と子ども問題支援センターの代表理事であり、大法寺副住職でもあり。そんな自分の日々徒然日記。

 

方広寺の大鐘。

 

 

 

天台宗山門派の寺院。天下を統一した秀吉が東大寺の大仏にならって大仏殿の建立をはじめたが、大地震による倒壊や火災による焼失というアクシデントが相次ぎ、慶長17年(1612)に息子の秀頼によってようやく完成する。完成後、落慶供養を行う手筈となっていたが、銘文の「国家安康」「君臣豊楽」が家康の名前を分断し、豊臣を君主とするものだと徳川家康から難癖がつけられ、大坂冬の陣の導火線となった。

現在は、大鐘が吊られた鐘楼、諸将の名が刻まれた石塁や石塔だけが往時の遺構である。

 

 

 

 

白い文字が「君臣豊楽」「国家安康」と書かれていて

豊臣秀吉を滅ぼしたとされているようです。

 

 

天井が美しいですキラキラ

 

 

続く下矢印