昨年開催出来なかった追悼絵灯篭を、なとり復興プロジェクトさんと今年は行うことができました。
パナソニック名取さんの全面協力で今年も電子絵灯篭が運ばれました。2013年に強風で3000個の紙の絵灯篭が飛ばされ点灯が中止になったことを踏まえて翌年には風速27mにも耐えられる電子絵灯篭が誕生しました。
LEDがついていて蓄電し暗くなると自動で灯りが灯る仕組みです。
毎年差し替える4枚の絵と中に2kgの石を入れてパネルの蓋をします。今回は300基の電子絵灯篭を、なとり復興プロジェクトのメンバーで設置しました。
設置後に美しく見えるように皆で調整しました。
設置した記念碑の横では献花が行われていました。
私たちも並んで被災して亡くなられた方々を偲び献花させて頂きました。2時46分にサイレンが鳴り響き黙とうをしました。サイレンが静まった後も、しばらく涙が止まりませんでした。私たちは生き残っているから今、ここに居て追悼を行うことができている意味を深く考えました。
閖上太鼓の演奏が始まっても涙が止まりませんでしたが、地元の方々が太鼓の演奏に合わせて手を打ったり掛け声をしたりしているのを見て、私たちはこれからも強く元気に生きていかなければならないと思いました。
慰霊碑の近くには閖上の5差路にあった歩道橋が置かれていました。この歩道橋で助かった方も、たくさんいたと聞いています。
この公園のブロックは寄贈者が文字や絵を描いたブロックが反転して敷かれています。
当団体キャットミントも、鎮魂と復興の祈りを込めて書きました。
震災メモリアルブロック寄贈者碑に法人名が刻まれているのを初めて見ました。
暗くなるまで、待機時間があったので震災復興伝承館に行ってみました。海沿いに立っている伝承館は、4時まで展示開館です。
大きなパネルやシアタールームがあり震災の教訓や地元の方々の思いが感じられる場所になっていると感じました。
6時にパナソニック名取さんに行きました。
ここにはパナソニックの社員さんのみで1400基の電子絵灯篭が設置されています。非公開でしたが、復興プロジェクトのメンバーは入場出来ましたので行ってみましたが、とても美しく何故か2014年に閖上小学校の校庭で開催した時の事を思い出しました。
あの時の美しさを私はいつまでも忘れることができませんでした。
こんな風にたくさんの紙の絵灯篭を並べて、ろうそくの火を灯し本当に美しくて・・・まだ震災の心の傷が癒えていないことを強く感じた時でもありました。
あの頃の絵は頑張れとか悲しいとか寂しいとかメッセージは暗いものばかりでした。その後、毎年少しづつメッセージは明るい言葉が増えてきて、10年の歩みを感じることができます。
閖上の震災メモリアル公園に戻ってきました。300基の電子絵灯篭は、パナソニック名取さんとはまた違う優しい光を放って静かに佇んでいるようでした。
コロナの影響で昨年はできなかった鎮魂追悼絵灯篭を今年は小規模ながら行うことができ、亡くなられた方々を想い偲び復興を願うことができ少し安心しています。まだまだコロナの影響で不自由な毎日を送らなければなりませんが、きっと必ず安心して普通の暮らしができる日がやってくるはず!負けねど‼
19時に設置した電子絵灯篭300基を撤去しました。
片付けた後の慰霊碑はまた静かな夜を迎えています。
全ての震災で亡くなられた方々、コロナ感染で亡くなられた方々に心より、ご冥福をお祈り申し上げます。