転職先に不動産営業職を志す訳 | 勤倹報徳

勤倹報徳

20代後半の勤め人です。35歳で独立を目指しています。
40歳までに資産1億円以上が目標です。
現在は勤め人収入+株式投資、今後は収入の増加・不動産投資を
加えて目標達成に邁進します。

我が人生、ブランクはあれどかれこれ勤め人生活も5年目となる。

いつか悠々自適な生活を送る日々に憧れていまなお勤め人をしているが

やはり勤め人をやっているからには精一杯稼いでみたいとも思う。

 

勤め人とは非常に安定的で恵まれたポジションだ。

上司に「責任ある立場に君は立っている」と言われても

どこまで行っても勤め人なのだ。

 

もしも本当に責任ある立場に立っているなら

部下の給料はあなたが払うのか。

事業の損失はあなたが補填するのか。

事業のビジネスモデルはあなたが構築したのか。

 

会社は自分の成果分を上乗せして給料に反映しない分

損失を出してもほとんどの場合お咎めなしなのである。

 

勤め人の身分で会社に物を言うのは言語道断 

 

 

 

何の成果も出さなくても安定的に給料が入るぬるま湯に浸かっていると

誰かがやってくれる、典型的な勤め人マインドとなって自主性の乏しい人間へと没落する。

他力本願で送る勤め人生活が長引くと他人に甘えるようになる。

上司、後輩、取引先といったあらゆる関係者の存在を過大評価して仕事の遂行に寄与してくれると

ほのかな期待を持ってしまうのだが、いざそれに反した結果が出ると人のせいにする。

自分は悪くない、と言い張る。

自分自身がそうであるとつくづく思う。

完全なる勤め人マインドとなってしまっていて背水の陣、という感覚が無くなってしまっている。

 

 

自分自身を追い込んでくれる環境に歩んでいくしか人は変われない。 

 

何の成果を出さなくても安定的に給料が入ってくる環境。

ある人にとっては極楽浄土、ある人にとっては苦痛の域を超える。

お金が好きな人ならなおさら苦痛だろう。

決まった給料が約束されている分、入ってくるお金も分かってしまう。

だったらどれだけ楽に稼げるか、と考えに至るのも無理はない。

いかに身体を疲れさせずに給料をもらうかが勤め人にとって至上命題なのだ。

しかしながらお金が好きな人なら、それ自体が苦痛だ。

どうせ身体を疲れさせるなら見返りを求めたい。至極当然のことである。

勤め人最大の商品は労働力なのだから、労働力が底尽きる限りお金をしっかりと稼いでいきたい。

 

 

結果でお金がついてくるインセンティブ 

 

20代で安定的に年収700万円もらえる会社と

基本年収200万円だが、インセンティブによっては上限3000万円まで可能な会社。

私は迷いもなく後者を選ぶ。言い換えると今の私なら後者を選ぶ。

それはなぜか。

 

生活水準を下げる。散財しない習慣を身に付けた先に得られる果実 

 

どんな安い給料であってもどこでも暮らせる体制を整えてきた。

そしていくら稼いでも散財しないほどに自分をコントロールすることができる自制心を鍛えてきた。

私の至上命題は富裕層になって毎月労働力以外の事業収入が入ってくる生活である。

生活水準を極限まで下げ、散財しない癖を身に付けるとお金に対する悩みの大半が消える。

だからこそ心が躍って希望が持てる勤め人クラスを経験しておきたい。

希望とはお金であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

給料の心配をしないからこそ、本気で仕事にあたることができる。 

 

お金を追い求める勤め人にとって、インセンティブのある会社は大変魅力的である。

もし契約が取れずに転んだとしても資格による転職先の年収の下限を高めておくこともできる、すぐさま高年収の

会社へ転職できることができる。(一時的に安定という極楽浄土な会社に勤めること)

失敗をしても軽傷で済むような体制を整えてから自分の好きな分野の業界、試してみたい仕事に

挑戦してみたらよい。そうすることで悔いのない人生を送ることができる。

儲けたら不動産を買う、株を買う、やりたいことはたくさんある。