告別式に行ってまいりました。
お経を聞きながら遺影を見ていると、あれこれと色んな思い出が頭のなかで浮かんでは消え、浮かんでは消え、グルグルと頭の中が描き回されていくようでした。
不思議と、そんなときに浮かんでくる事務長は、笑顔で楽しく仕事をしている姿。それがまた余計に切なくさせる。
油断するとすぐに、悲しさや残念な気持ちや、寂しさや何とも表現しようのないブルーな気持ちが押し迫ってきます。
あのとき自分は、もっとこういう行動をしていれば・・・とか、もっといい部下でありたかったとか、後悔のような反省のようなものもあり。
今まで、施設を良くしようとみんなで一致して頑張ってきたことが、ぜんぶ水の泡になってしまうのかな。
もしかしたら、もう今までのような仕事のしかたはできないのかな。
いろんな事に挑戦しようと、いつも事務長に「やりましょう!やりましょう!」と、けし掛けていたのが、もしかしたら負担になってたかな。
そんなことばっかり考えてた。
そうやって、ひとしきり沈んだあと、ふと違う視点から考えてみた
この事実を受けて、自分はどう動こうか。
今は亡き事務長が、これから先、天国で見守っているとして、何を望むだろうか。
そう考えたとき、
ああ、今までがんばってきたことをここで止めちゃダメだ。
そう思いました。それは事務長が望んでいることじゃないと思う。
いつか、自分も行くべき道を行くことになったとき、一足先に行っている事務長にまた会うかもしれない。その時に自分はいったい何と言うべきか。
できることなら胸張って挨拶したい。しかもちょっと自慢げに(笑
「事務長!オレやりました!
」 みたいな。
そして、この施設がオープンした時から支えてきた人ですから、
「こんないい施設になる土台を作ったのは、事務長、あなたですよ!」
そう言ってあげたい。
式が終わり、最後にお棺に花束を贈りながら事務長と顔を合わせたとき、もう落ち込む気持ちはなくなった。
「事務長、今まで本当にお疲れさま。あとのことは任せて、ゆっくり休んでください。」
心からそう思うことができた。
告別式で、きちんと事務長にお別れが言えた気がする。
そのおかげで、この出来事がスッと自分の心の中に納まったような気持ちがした。
もしかしたら葬式は、亡くなった人のためじゃなくて、残された人のためにあるのかも。そんな風にさえ思えた。気持ちの整理ができるように。
葬儀場からの帰り道、しずかに思いに耽りながら、何度も何度も考えた。
「さて、自分はどう動こうか。」
「さて、自分はどう動こうか。」
「さて、自分はどう動こうか。」
「どっちを向いて歩こうか。」
「どっちを向いて歩こうか。」
「どっちを向いて歩こうか。」
何度考えても、答えは明白だった。
「前を向いて行こう。自分のできることをやって行こう。」
あせらずに、あきらめずに、一歩ずつ。

しました。
をくれるのは、そこだと思うんです。