リスクについて考察しているが、このテーマはどうも個人的な思い入れが強いせいか、主観的な話に偏りがちだ。ここで一歩引いて、客観的にリスクについて考えてみたい。


 もともとリスクを考える時、それの本質は「確率」と「統計」であります。確率については、フェルマーの往復書簡にまで話を遡らなければならないが、ここではあえて触れません。話が長くなるからです。

 リスクを避けるために、私たち、全世界の人々が生み出したのは、「保険」というシステムです。


 現在を生きる私たちにとって、保険、それは生命保険、損害保険にしても、当たり前に存在するシステムですが、これはリスクをとことん考えて、その道から生まれた人類の英知であると言えます。


 特に損害保険に関しては、再保険というシステムが存在している。すべての保険は英国のロイズの再保険のシステムにより成立しているのです。そしてロイズは「いざと時には、すべての財産を差し出す」という不文律により、現在までそのシステムを温存させているのです。

 保険、その本質を深く検討することが、リスクについての多くのことを理解する道である。

 その点については次のブロブで書きたいと思う。これについてはおくが深い。当たり前のことだが、しっかりとした言説を、このブログにおいても残しておきたいのだから。


 今回はリスクと直感について。リスクをいち早く感じ取るための方法で一番当てになるのは、私の場合は自分の「直感」である。

 物事を進めてきて、「何か違うのでは?」とか「どうも腑に落ちない」とか「わけのわからぬ胸騒ぎ」がするとか、このような場合はたいてい危機が自分に迫ってきていることが多い。

 当然のことながら杞憂に終わる場合も多いが、なんせとてつもない危機に遭遇する可能性を考えれば、自分自身の内なる声に従った方が得策である。

 何かが変だと感じるには、それなりの理由が潜んでいるものだ。その理由について自分がまだ無知なだけということだ。

 だから私は自分の直感が何らかのリスクを感じた時には、一歩退却して様子をうかがうことにしている。少なくても現状の地点に立ち止まり、先に進むことは避けるようにしている。


 5年ほど前の年末年始、あるトレードで手痛い傷を負った経験がある。実はこの時にも、すでに11月くらいの時期から、なんとなく嫌な予感がしていた。地方都市視察に出かけた時のバスの中でも、そのような不安を友人と話していたように記憶する。

 しかし客観的な理性やそれまでの経験の範囲で考えれば、何ら問題となるようなことは想定できなかった。だからこの時に自分の直感を押し殺して、問題を深く検討しようとしなかった。

 むしろチャンスが来たのではとも考えていたくらいだった。しかし、やはり直感を捨てることはできずに、さらなるポジションの拡大は控えて、現状維持のまま様子を見ることにした。

 結果としては、想像だにしないような、とてつもないリスクに見舞われた。現状に止まっていたため、何とか全面的な破滅は免れたが、やはり最大級の傷を負ってしまった。


 その後、私は臆病になり、少しでも直感が伝えるリスクに敏感に反応するようになった。しかし、この手痛い経験が幸いした。その1年後に全世界を襲ったリーマンショックの打撃からは、ほとんど無傷で逃れることができたのだった。


 リスクと情報という観点で考えを進めてみたい。一般にリスクを軽減させるためには、問題に関する情報は多いにこしたことはない。また敵対関係や緊張関係にある対象には、情報はなるべく流さない方が良い。当たり前の話である。これだけでは読んでもらえるブログの文章としては成立しない。

 このような一般論は、ある意味では素直に真実であるが、たまにはそうでないケースもある。

 リスクを軽減するためには、あえて情報を得ない方が良い場合や、あえて他者に情報を流した方が良い場合も、まれであるが存在する。つまり知る必要のないことは知るべきでないし、隠す必要のないことは隠すべきではないということだ。



 かなり昔の話だが、私はとある政治折衝の局面にあって、ある先輩からこのように告げられた。「今回の問題を解決するための秘策が私の手にはあるが、現在のところ君に話すわけにはいかない」と。

 私は訝しがって、「なぜですか?私を信頼していないのですか?私が情報を漏らすと疑っているのですか?」と詰め寄った。

 すると彼は、「もちろん君を信頼している。君は99%情報を漏らすことはないだろう。そしてそんなことをしても何ら君の得にはならないこともよく理解している。しかしここであえて話さなければ100%情報は洩れることはない。」と答えた。

 そして、さらに彼はこのように付け加えて語った。「その時が来るまで知らなくていいことは知らない方が良いのだよ。君は自分の幼稚な自己満足や軽率な好奇心で動いていけない。情報を得てしまったことによるリスクというのもあるのだから。」

 その問題は結局のところは、たいした物議を醸しだすことはなく、きわめて平穏に解決された。しかし、この時に語られた言葉は、現在でも私の頭に強く刻まれている。