前回まで仮想通貨の話を中心に書いていたが、今朝の新聞の一面に「仮想通貨580億円流出」という記事がでかでかと掲載されていた。

 大手仮想通貨取引所のコインチェックが不正アクセス被害に遭い、顧客の580億円分の仮想通貨資産が流出したとのことで、顧客の資産の保全については不透明であるという。

 この事件は数年前に起こった「マウント・ゴックス社によるトラブル」を上回る最大級の被害額とも言われている。

 酷い話ではないか。たとえトレードで勝利して順行していても、このように根本の所でポシャるんでは元も子もない。

 これでもう、しばらくの間は新規に仮想通貨トレードをしようとする者は減少するだろうし、業界への入金も止まるだろう。

 それにしても、こんなに簡単に「盗まれる」なんて、、。

 仮想通貨もモノとして考えれば、当然のことながら盗難のリスクもあるわけだ。

 

 さて、モノの価値についての話、何も仮想通貨のことばかりでは詮無いので、仮想通貨の話はこの辺で終了して、違った観点からの議論をしたい。

 

 モノの価値は、個人にとって「時間」との関係で考えなければいけないというテーマだ。

 モノの価値は、時間と共に変化する需要と供給の関係からどうのということではなく、あくまでも個人の生きる時間との関係についての話である。

 

 人間は年をとる。若い時代に比較して、年齢を重ねると「モノの価値」は低下していくものである。

 自分に残された人生の時間が長いほど、自分が所有するモノの価値は高く感じられる。

 反対に残された人生の時間が短くなるほど、モノの価値は低下する。

 極端な例では、ガンを宣告されて余命数か月の人にとって、自らが所有するモノなどほとんど無価値となろう。

 ゆえに、若い頃には大切だったモノが、年齢を重ねるごと、そして老年期には、ほとんどがガラクタのようなモノになってしまうことだってありうる。