モノの価値は、それぞれの人、それぞれの社会、それぞれの時代によって異なる。
価値のあるモノは有用なモノである。
たとえば、石油、食料、衣料などなど。
そしてモノには付加価値が付く。美味しい食べ物、ブランドものの衣服などなど。
さらには多くの人々にとっては、まったく、ほとんど価値のないモノであっても、ある種の人々にとっては大きな価値を持つこともある。
逆にある者にとっては価値の高いモノでも、別の人々にとっては単なるガラクタ以上のモノでしかないこともある。
特に価値観や趣味嗜好が多様化した現代社会にあっては、このような傾向はますます顕著であろう。
さらには、ネット社会の到来により、まったく架空のモノであっても価値のあるモノとして売買されていたりする。
たとえば、オンラインゲームで活用されるアイテムなどは、一番よい例であろう。
ヴァーチャルな世界でしか意味を持たないアイテムであっても、そのヴァーチャルな世界が自分の生活の一部(しかもかなり大きな一部分)である人にとっては、お金を費やしても価値のあるモノなのだろう。
このように説明すると、何か特殊なオタクたちの例外的な話のようだが、ひと昔前に流行して高額な取引をされていたビンテージモノのジーンズやナイキ・シューズなども同様だろう。
関心のない人にとっては、なんともバカバカしい話だが、そのモノに価値を見出すコミュニティーの連中にとっては、その価値は大真面目なことであろう。
ここに人の興味の不思議がある。
さらに言えば、宝石や骨とう品なども、つまるところは同じ範疇の議論に収まっていく。
どうしてこんなことを考えているかというと、このようにねじ曲がったモノの価値が、ある時には一時的な財を成すこちもあるからだ。
よくわからないが精密な模型。私にとっては、ガラクタであっても、好きなコレクターにとっては価値のある高価なモノかもしれない。