尾崎豊といえば、一昔前の時代における若者の代弁者のようなカリスマ的なアーティストであろう。一昔前といっても、一世代前、現在の若者の親の世代、ちょうど私の世代であろう。

 その尾崎豊について、現代を生きる若者の一般的な評価はどうなっているのだろうか。

 

 私は他の議員に比較して、若い世代の連中と接する機会が多い。先日、たまたま3人の大学生(男女とも)と談笑することがあった。

 その中で、かの尾崎豊の話題が上ったのだ。彼らの中の一人が、「自分の両親が尾崎豊の熱烈なファンである」との話からだ。

 そこにいた3人の大学生たちは、尾崎豊の名前くらいは知っているが、別に曲を聴いたことはないということだった。なんとなく、みんなで、「それならば尾崎豊の曲を聴いてみよう」ということになって、近くのカラオケボックスで彼の曲を何曲か聞いてみた。

 

 私は個人的には、尾崎豊はそんなに好きなアーティストではない、何曲か良い曲は知っているが、なんとなく彼のメッセージ性に違和感を感じるものだ。それは暗くネガティブなところだ。

 

 はたして、3人の大学生に感想を聞いてみた。驚いたことに、みんな尾崎豊に対して否定的なのである。以下が主に語られた内容だ。

 

 「器物破損や破壊行動なんて、そもそも反社会的な行為じゃないですか、なんか危なくキレた感じの人で、近寄りたくないですね」

 「麻薬で問題になった人でしょ、どうして昔の人が彼を尊敬したのか理解できない」

 「彼は、そもそも何に対して反抗して、何に対して怒りを持っているのか、まったく意味不明」

 「恵まれた環境で育ったようなのに、単に世の中に甘えているんじゃないかな」

 「彼の歌に救われたという人もいるみたいだけど、絶対に周りを幸せにしないタイプ」

 「もし自分の彼氏だったら無理、即別れる、こんなものに感動していた両親の心情を考えると気持ち悪い」

 

 というように否定的な意見のオンパレードだった。まさに尾崎豊に若干でも理解を示す私の方まで、変に思われやしないか心配になるほどだった。

 

 時代は変わる。それにしてもこの差は、いったいどこから来るのだろうか。

 とにかく現代の若者は反社会的なものに対して嫌悪感を抱くのだろう。

 

 今度は、私が好きな「ローリング・ストーンズ」でも聴いてもらおうか。