前日のブログで、近代と現代の意味、それに関連する政治のあり方について書いた。このテーマは奥が深いので、これから何回にわたって書き進めていきたい。
今日のテーマは、現代的な議員の姿についてである。現代的な議員というと理解が困難なので、現代社会に適合した政治家の姿という意味でとらえてほしい。
私たちのグループで、若くして(私よりも一回り以上年下)当選した新人議員の名言から紹介しよう。
私は聞いた。「君は社会のどのような部分を変えたくて議員になったのか?」
その問いに対する答えは、「私は別に社会を変えようなんて考えていません、私が議員になったのは、社会を変えるためではなく、社会における自分のポジションを変えたかったからです」
何という答えだろう。それに対して、私が「それでは利己的に思われかもしれないよ」と返すと、「どうして利己的なのですか?そもそも社会における自分のポジションが低いままであるのならば、社会を変えるなんてことはできないし、そもそもそんな意欲すら湧いてこないではないでしょうか」との返答である。
まぁ、その通りなのだが。
私が不思議そうにしていると、さらに畳みかけるように話す。
「社会における自分のポジションを変えると考えるから利己的なので、それでは地方自治体の中での**区のポジションを良くする、さらには国際社会における日本のポジションを良くするため(これは国会議員の役割ということになるが、、)、頑張っていくと論点を置き換えれば問題ないでしょう」
まさに、その通り。名言だ。きわめて現代的なものの考え方だ。
さらに発言は続く。
「そもそも自分自身や家族、また周囲の世界、広くは属するコミュニティーが幸福になるために頑張ることはあっても、漠然とした理想や理念のために頑張るって、何か欺瞞的で胡散臭いではないですか、私はそんなものは信用しませんし、嫌いですね」
「抽象的な政治的な理想って、そもそも何ですか? 個人的な思い入れなんて問題外だし、たとえば環境とか福祉とか、果ては世界平和なんて、インチキ臭いじゃないですか」
「環境問題とかって言っても、いくら日本が頑張っても、遠く中国あたりで酷く環境破壊が進行したら意味ないですよ、第一地球上の空も海もつながっているんですから」
「世界平和とかって言っても、いきなり宗教で狂った連中が理不尽な大規模テロとか仕掛けるんですよ、彼らを根絶やしにすることなどできないし、そうしたおかしな連中をも包括したような世界的な理念や制度を創造するすることなど無理でしょう、そもそも私は政治家であり宗教家ではないのですから」
「そんな意味のないことに時間と思考を費やすのは、まっぴらご免です。私は無意味なことや無駄なことが大嫌いですから、それならばまだ**区の税外収入について調査した方がよっぽど建設的ですし、周囲から評価されると思いますよ」
しごくごもっともな話だ。私が日頃漠然と考えていた矛盾や欺瞞に対する答えを、とても適格かつストレートに迷いなく発言している。
これが現代的な政治の姿であろう。
この一連の発言に反感や心理的な違和感を感じる人々も多いであろうが、近代的な価値観から現代へと移るということは、こういうことでもあるのだ。