早朝、なぜか頭が冴えわたる。こんな時には少し哲学的な話を書いていきたい。

 テーマは、政治における近代と現代。

 近代とは「近い時代」の意味だ。それより古くなると、前近代、中世、古代となっていくわけだが、現代とはまさしく今現実の時代。当たり前のことだ。

 これが時間軸ではなく空間であるならば、たとえば「近東」「中近東」「東方」(オリエント)、そして「極東」(まさしく日本)と順に並んでいく。これも当たり前のことだ。

 

 近代社会において、社会の価値観として確立されたものには、自由、人権、法治主義などがあるが、一番象徴的なものはフランス革命の理念である「自由、平等、博愛」であろう。

 そして言わずもがなの「主権在民」、それを前提とした民主主義の政治体制であろう。

 また資本主義を前提とした経済システム、そこから派生する産業構造のあり方も、近代の生み出した産物であろう。(共産主義、社会主義も資本主義のアンチテーゼとして誕生したものなので、これも同じ範疇に属すると考える)

 それに対して、私たちが生きる現代社会はどのような特徴が加わったのか。

 *情報化によるモノや価値観の標準化

 *グローバル化による国民国家や民族、人種の垣根を越えた、企業や人間行動の巨大化

 *不確実性に依拠した「何でもあり」の世界

 *目まぐるしく変化する時代状況、社会構造

 *あらゆる分野で繰り広げられる大競争社会

 *宗教や思想など旧来の価値観と併存しつつも進行する価値観の多様化

 *生存条件として新たに加味された「地球環境」という概念

   とまぁ、こんなところであろう。

 

 ここまで話の前提を長く書いてきて、いったい何を言いたいのか。

 それは、急速に変化する現代社会にあって、政治の世界、そのよって立つ理念はいまだに近代社会のものから脱皮していないのではないかという点である。

 私は、何も近代社会の理念を否定しているわけではない。もちろん封建社会に戻れなどという時代錯誤のバカバカしい事を訴えているわけでもない。

 「近代の超克」など思想界のように大袈裟な話でもないが、そろそろ近代社会が掲げた政治理念の限界を認識して、現代の政治的な価値観を模索することも必要な時代に差し掛かっているのではないだろうか。

 

 まず、それは何か?

 近代社会においては、政治は「理想的な社会」の建設に向けての推進力と思われていたが、現代社会においては、政治とは「まずこの現実にきちんと対応しましょうよ!」ということだと思う。理想ではなく、目の前にある現実にしっかりと向き合いましょうと言うことだろう。

 

 「社会を変えたい!」と邁進するのは、残念ながら牧歌的な近代における政治スタンスなのだろう。

 それほどまでに、現代社会は混沌としてカオスに満ち溢れている。