最近、映画の「フーテンの寅さん」シリーズをよく観ている。この作品群は、何度観ても飽きない面白さがあることは、多くの人々が共通して感じていることであろう。

 そんな話を、議会の休憩時間に同僚の議員達と話していた。私が、「寅さんのように気ままに生きることができたら良いのになぁ」と呟くと、隣にいた共産党の議員が「のづさんは、まさに寅さんのように生きているじゃないか」と揶揄するように言った。

 これには驚いた。それからこの話を仲間の議員達に話すと、みんなが「そうだな、確かにのづさんは寅さんのように気ままに生活しているかもしれない」と納得するのである。

 再び、驚いた。まさか私自身が周囲からそのように思われているなんて、まったく想像だにしなかったことだ。

 

 自分では、地方議員になってから、20年近くも地道にコツコツ、そしてつつましやかに生きてきた。犯罪や不正など論外だし、ギャンブルや酒乱、派手な消費生活とも無縁な真面目そのものを描いた人生である。

 こんな私が自由奔放な雰囲気を漂わせているというなら、世の中の基準とはいったいどうなっているのだろうか。

 私程度の姿が、自由奔放さや気ままさを醸し出しているというならば、世の中はよほどまでに抑圧的なのであろうか。

 

 「どうして私が寅さんという判断になるのだろうか?」と親しい友人に尋ねてみた。「それは、のづさんが毎日楽しそうで、いろいろなことに縛られずに生きているからじゃない」との答えである。

 楽しく生きることの何が悪いと言うのか。物事に縛られないのは良い事ではないのか。

 

 誰もがみんな、そんなにまで苦しみながら耐えながら、人生を送っているのだろうか。それもいったい何のためか。不思議じゃないか。

 

 確かに現代社会は、同性愛やら何やらマイノリティーに対しては寛容になってきた。しかし一般的には、より抑圧的になってきているような気がする。

 これは日本の国だけでなく、先進国において共通の傾向だろう。

 暗い!

 ミッシェル・ウインベックの言葉をかりるまでもなく、生きずらい社会になってきているのだ。