東京都知事選挙の真っ最中である。

 いよいよ日本の選挙においても、アメリカなみにネガティブ・キャンペーンが展開されるようになった。

 それも「差別発言をした」とか「過去の女性問題はどうの」とか「前職中にファーストクラスで海外出張した」とか、どれも東京都政の根幹には関係ないような些末な問題ばかりだ。

 

 あまり具体的に一つ一つの事例をこの場所であげつらうことはできないが、前述の「ファーストクラスを使った」云々など、どうでも良い事ではないだろうアk。


 きっと「税金の無駄使い」「庶民感覚からのズレ」とか言う話なのだろうが、要職にある者がそこそこの待遇を受けるのは悪い事ではない。度が過ぎなければ、少なくとも大きく避難されるような問題ではない。


 「庶民感覚」という観点を持ち出すような議論が間違っているのだ。

 東京都知事は庶民感覚のレベルで都政のかじ取りをする必要はない。

 むしろ巨悪や大きな不正に対して清廉潔白であればよい。


 まぁ、前東京都知事の場合、その庶民感覚のレベルを持ちながら、いじましく「回転寿司」やら日常の細々した出費まで公私混同していたから、まさに問題となって辞任にいたったわけだ。


 こんなことを書いていると、「なんと、傲慢な奴」と思われるが、なぜ「庶民感覚」が政治に必要ないどころか、マイナスに働くものかについては、次回に具体的な事例をあげながら説明したい。