書けない、文章が書けなくなってしまった。


 もともと私は文章を書くことが得意であり、というよりも文章を書くこと、何かを表現することが大好きだったわけだが、ここ数日は何も書けない。


 ウルトラリセット思考のシリーズを書いていきたいのだが、どうしても書けないのだ。


 どうしてか?

 それは言葉や書く内容、または表現方法を選んでしまって、自由に書くことをためらっているからだ。

 何でも思うところ、さらには社会の真実をうまく表現するのが、私のモットーではあるが、多くの知人からブログで広く表現する類の文章としては過激すぎるとか指摘されることが多い。

 特に今回のシリーズである「ウルトラリセット思考」については、その内容上、いささか過激なものとならざるを得ない。

 なんせ、社会保障制度だろうが、教育のあり方であろうが、国際関係であろうが、すべてを一旦ゼロにして、物事をリセットしてから考えようというものであるのだから、当然のことながら多くの人々の反発をかうであろう。

 どううしても自由に表現することに対して、自分自身が臆病になってしまうというものだ。


 でも、書こうと思う。

 自分が真実であると思うことを表現していこうと思う。


 他人の批判などというものは、どうしても仕方がないのだ。


 どうして、このように強い気持ちになったのだろうか。

 それはトランプ氏が快進撃を続けている姿を見たからだ。

 常識的に考えても、トランプ氏の発言は過激で、どうもアメリカ大統領としてふさわしいとは思われないことは、誰もが感じることであろう。

 確かに多くの批判は受けているのであろうが、それを勝るほどの支持が拡大しているからこそ、彼は政治的に飛躍しているのだろう。


 そう、誰もごまかしやなれ合い、偽善や中途半端な一般論など求めてはいないのだ。


 トランプ氏の発言に比較すれば、私の書く文章などとても大人しく常識的な内容だろう。


 だから書いていこう。


 最初は「生活保護制度」と「ベーシックインカム」についてである。


 生活保護受給者がパチンコをしていることで、生活保護受給の打ち切りがあったのないのという、現在話題になっている話から始めていきたい。


 生活保護受給者が、生活保護費でお酒を飲んでいることの是非などは、昔から広く議論の対象となっていたが、まぁ、多少のお酒くらいは記念日やおめでたい日に嗜むのは人情とは思うが、はたしてパチンコとなるとどうであろうか。


 皆さんは、これについてどのように考えるだろうか。

 私は、ケシカランと考える。

 パチンコなどのギャンブルにお金を使うような人間に生活保護費など支給すべきではないと思う。

 もし、奇跡的な幸運が重なって、その日パチンコで10万円以上大勝したりしたら(パチンコではなく、競馬とかなら100万円以上の大勝もありうる、、)、そのギャンブルで勝った分は行政に返還するとでも言うのだろうか。まさか返還などするはずもない。


 しかし、現在の日本では、こんなことの是非までもが議論の対象となってしまっているのだ。

 これって、何かがおかしくないだろうか。


 お金や労働ということの価値基準がズレてきているのだ。

 このあたりから、次回以降に書いていきたい。