昨日と一昨日と二日間にわたって新宿区議会では、代表質問と一般質問が行われた。たいていはこの時期にどこの区議会も第一回定例会が開催されており、様々な議会の情報がメンバーの議員から入ってくる。


 今回の議会では、どこでも「子供の貧困」をテーマとする質問が多くて、その中でも「子ども食堂を作れ」という趣旨のものが目立ったような気がする。

 そして新宿区議会の質問の日がやってきて、はたして、、、。

 やはり複数の会派から、「子ども食堂を!」の声が連発された。


 そもそも、「子ども食堂」とは、何か?

 これは豊島区かどこかのNPOが始めた、子どものための食堂(その言葉通り、メシを食わせるところ)で、共働きの両親が増える中、子供が「一人寂しく孤食しないように」また「栄養価に問題があるジャンクフードばかり食べないように」、学校の外で子どもたちが食事のために集えるような場所である。

 それが子供の貧困問題とからめて、政策提言されているのである。


 確かに、幼い子供が両親不在の状況で、夕ご飯を取らなければいけないのは不憫であるし、栄養の偏りによる子供の肥満の問題もあろう。食育の観点からも、子ども食堂は有意義な政策であろう。


 しかし、これって「どうしても行政が取り組まなければいけない課題」と言えるのか?

 それにしても、どうして多くの議員は「子供たちにメシを食わせよう!」と躍起になるのだろうか。

 子供の貧困についての社会的な問題はあるだろうが、それでも現代の日本にあって、食物が得られなくて餓死したり栄養失調に陥ったりする子供は、ほとんど皆無ではないのだろうか。

 それに子どもたちには、少なくとも昼食として、「学校給食」が提供されているのだ。

 朝、昼、晩と子どもたちが揃って、同じ食堂で同じような食事をしている光景は、私にとっては異常である。

 子供は、やはり家族と多くの時間を過ごすべきであり、何でも家族の枠の外で対応しようとする考えは極端だと思う。


 たしかに、何らかの事情により恵まれない子供たちも存在することは確かであるから、子ども食堂のような施策を否定するものではないのであるが。


 しかし、、、

 それよりも、社会に求められているものは、「高齢者のための食堂」であろう。

 一人暮らしの孤独な高齢者は増えてきているし、今後も増加していくことであろう。

 彼ら高齢者にとってこそ、社会から孤立しないように、多くの地域住民に見守られて気軽に食事ができる食堂が必要だ。

 そこではコミュニケーションだけでなく、健康管理や見守りの役目も果たすであろう。

 高齢者にとっては、一人で家に引きこもるよりも、たとえ食事をとるためでも、外出して他者と触れ合う方が、認知症予防にも健康維持にも大切である。

 子供たち以上に、一人暮らしの高齢者が、一人で食事を作り、一人で食事をとることは苦痛であろうし、社会的に見てもよくない状況であろう。

 高齢者向けに給食サービスを行っている団体とかボランティアにこそ、子ども食堂以上に手厚く行政は支援をしていくべきであろうと思う。