また再び、「子供の領分」シリーズに戻ってきた。

 このシリーズは書きたいことが多くあるので、まだ当分の間は続くであろう。


 さて、子供の世界独特の価値観についての話である。

 前回は、子供の価値観が「正しい悪い」の善悪二元論に陥りやすいという話をした。


 このことに関連してなのだが、子供はよく極端な考え方にとらわれることが多い。

 それは「ALL or Nothing」という発想だ。

 完璧主義、完全主義とも言えよう。

 すべてやるか、それともすべて投げ出すかという極端な考え方だ。

 そこには中途半端はない。ゆえに、妥協をするということを知らない。


 私たちの暮らす大人の世界では、完璧に物事が運ぶのはまれであり、だからこそ「そこそこ」のところで気持ちの折り合いをつける。

 そして中途半端や不完全でも、少しでも事態を好転させうることは受容する。

 これは生きていく上でも大切な知恵である。

 選択においても、セカンド・ベストを選ぶことだってありうるのだ。


 しかし、子供たちの価値観では、ベストでなければ、全部がご破算になるような感覚に陥りやすい。

 これは負の状況であっても同様だ。

 どうせダメならば、もういい、めちゃくちゃになっても構わない、と考えがちだ。

 ベストを獲得できなければ、大きな挫折と感じてしまう。

 実際は状況はさほど壊滅的ではないのにもかかわらず、己の認識において挫けてしまうのだ。


 一例をあげるならば、朝寝坊をして遅刻をするくらいならば、いっそのことサボってしまえというやつだ。

 本当ならば、たとえ遅れても、そこから頑張る方がよほど長期的には有益なのだが、ひとつ躓くとすべての気力がなえてしまうということだろう。


 この誤った完璧主義は、一つ一つの局面においてはさほど過大な影響は及ぼさないが、長い人生の道程にあっては、大きなマイナスを生んでしまうこともある。


 これはやはり時間的な感覚の違いから生まれる相違であろう。

 「人生は山あり谷あり」という古くからの格言を体感的に認識することができない。


 ここに再び大きな悲劇の芽が潜む。

 「ジリ貧を恐れて、ドカ貧に陥る」というやつだ。

 特に日本人はこの罠にはまりやすい。