それでは、子供の価値観と大人の価値観の違いについて書いていきたい。


 まず、最初には。


 子供の世界においては、何事も目上の人々のことに素直に従うというものがある。

 いささかの疑いもご法度である。

 目上の大人とは、両親であり、先生であろう。

 それに対して、大人の世界においては、すべてが自己判断、そして自己責任が原則である。

 頭ごなしに何かを信じたり、その結果として行動することは、馬鹿の所業といえよう。

 つまりは、180度違う価値観、物事の見方なのだ。


 確かに子供時代においては、多くの事柄は言われた通りに行う、変な疑問や問題意識を持たない方が良いことが多いだろう。

 しかし、この癖を成人してからも、多くの人々が継続していくことは悲劇と言わざるをえない。

 子供時代の両親や先生が、上司やマスコミなどに置き換わるだけなのだ。

 まさに、悪性の思考停止の状況、悲しいかな日本人に多いタイプだ。


 私は、憎たらしくも子供時代から、主に自分の両親から、「何でも自分自身の頭で考えろ、決して人や社会を信用するな」と叩き込まれていた。

 まさに、可愛げのないガキだろう。


 そして、当然のことながら、現在でもその価値観は自分の根底に存在する。


 5年前の東日本大震災の時の出来事だ。

 私は予算特別委員会のメンバーとして、区議会大会議室に座っていた。

 そこに巨大な地震の揺れがやってきた。

 慌てふためいた私は、大声を出して我先に逃げようとドアへと駆け寄っていった。

 その時、目の前にいた中山前区長は、「慌てないで!この建物は大丈夫です」と呼びかけたのだ。

 区長というリーダー(かつての先生のような象徴だ)としては、正しい発言であろう。

 しかし、私はそんなことはお構いなしに(そもそも根拠のないことは信用しないので)、逃げようとして、周りの人々の失笑をかったのだ。恥ずかしい話だ。


 しかし、この時の私の行動は正しかったと現在は確信している。

 なぜならば、その後、新宿区の区役所本庁舎は数十億円もかけて、免震改修工事を行うことになったのだから。

 中山前区長の強い掛け声とは関係なく、やはり古い本庁舎の建物はヤバかったのだ。

 幸いにして、本庁舎の建物は崩壊しなかったけれど、もし不幸にも崩壊していたらシャレにはならないだろう。


 常に自分のことは自己の責任として対応していかなくてはいけないのが、世の厳しい価値観なのだ。


 だが、このような当たり前の価値観は子供の社会においては、一番そぐわないことなのだ。