ピケティの「21世紀の資本論」が警告するように、全世界の富が1%の人々に集中しているというような議論。
確かに統計的な数字を見れば、その通りのことであろう。
しかし、それをもってして、格差の拡大、すなわち富の過多による幸福の格差が拡大しているかと言うと、私は大いに疑問が感じられる。
その根拠は?
かつての時代、20世紀など、その頃に比べて富が幸福をもたらす力は減少しているのではないだろうか。
つまりは、現代社会においては、富は必ずしも幸福をもたらす要因としては影が薄くなっているのだ。
どうしてか?
それは富、さらにはそれが置き換えられる物質やサービスが過剰だからだ。
世界は富やモノに溢れている。
富が過剰だからこそ、数字的には一つ所に寄り集まっているように見えるだけなのだ。
もはや富、その象徴的なものである「お金」など、そのうちガラクタに成り下がってしまうのではないか。
そもそも、すでにして兌換紙幣ではなくなった現在の紙幣など、それ自体では無価値なものでしかないのだが。
この変化は人知れず、しかし確実に進行している。
はやく、みんな、気が付いた方が良いかもしれない。
極端に集中した富、たとえば10億円、50億円、100億円、1000億円、これは意味がない数字だろう。
10億円あっても、1000億円あっても、手に入るものなど、ほとんど変わらないだろう。
単に虚栄心や見栄や、せいぜい権力の誇示程度であろう。
それよりも重要な価値はある。
なにもささやかな道徳的なことを言っているのではない。
欲望の方向性が変化しているのだ。
みんな、一度立ち止まって、じっくり考え直してみよう。