悲観的な話ばかりを書いてきた。


 日本の国の将来的な不安についてだが、よくよく客観的に考えてみると、日本の国の未来は他の国々に比較するとそれほど暗いものではない。

 現時点の社会システム、またそれを前提にした国民の意識がダメなのであり、もともとの状況はさほどまずくはないのだ。

 財政危機と言っても、それは政府や自治体の話であり、国民は莫大な金融資産を有している。

 国際競争力の低下といったも、それは世界トップレベルかどうかの話であり、相対的には高いのだ。

 蓄積された技術力もあるし、豊かな自然、そして現在世界にもっとも必要とされる水資源も豊富にある。

 超高齢化社会といっても裏返せば長寿社会なわけだし、若い人が減少してるといっても、ほとんど移民を受け入れていない条件での話だ。

 格差はあっても飢餓はない。いじめはあっても紛争はない。虐待はあっても殺戮はないのだ。

 平和ボケ、裕福ボケしての話だ。

 確かに日本はダメだが、世界はもっとアウトな状況なのだ。


 日本の政治が、思考停止、問題の先送りに陥っていると書いたが、世界レベルではさらにこの状況がひどいのだ。

 環境問題を持ち出すまでもなく、誰の目からも明白な悪い状況だ。

 かつては世界を滅ぼすのは核戦争の脅威くらいだったが、現在では環境破壊による天候不順、人口爆発による資源の枯渇、地球温暖化や砂漠化の進行、水不足による世界的な食糧不足、などなど世界を取り巻く状況は惨憺たるものだ。

 地球規模で考えるならば、少子化とか格差の拡大などを嘆いている場合ではないのだ。


 私たちは環境問題についてある程度は学び、リサイクルやごみの分別に日々過ごしているかもしれないが、そんなささやかな善意の営みをあざ笑うかのように、遠く中国大陸から有害物質が風に乗って運ばれてくる。

 そう、地球の空も海もつながっているのだ。目をそらしてはいけない。


 地球規模で環境が破壊されて、次の世代、もしかしたらその次の世代には、この地球はとても人間が住めるような場所ではなくなったとしても、私たちはどこか遠くの地球以外の場所に移住することなど不可能だ。


 でも、もしかしたら何とかなるかもしれない。子供や孫の世代だけでなく、もう一世代くらいは大丈夫かもしれない。少なくとも自分が生きている間は何とかなるだろう。(これは「子供や孫にツケを残さない」という日本での財政再建派のスローガンがバカバカしくなるような話でもある)

 酷い発想。

 地球の資源には限りがあることはたしかに理解した、それならば早い者勝ちで消費した方が賢明ではないか、遅れてきた連中のことは知らんよ、ホナ、さいなら。

 次の世代も何とかごまかして、その先の世代にジョーカーを回せば良い。

 ともかく現在を生きる私たちの考えることではない、考えても仕方がない、もしくは考えていたくない。


 これはまさに広大な「ネズミ講」世界。日本社会の矛盾、社会保険制度の矛盾と実は同じではないだろうか!?


 もしかしたら、これが現代に生きる私たちの感じる終末の予感の本質ではないだろうか。

 問題の根は深いのだ。

 科学の未来を信じることができた私の子供の頃(といっても半世紀も前ではない)、その時代の空気が懐かしい。