最近身内に不幸があった。お通夜や葬儀の際に、お経を聴いた。

 職業柄、葬儀の場に出向くことは多いが、たいていの場合はお焼香だけ済ませて、その場を後にするものだ。しかし、今回は身内の葬儀だから、長い時間座り、お坊さんの唱えるお経を耳にしていた。


 お経というものを、一つの音して、または音楽として聞いてみると、なんとこれが素晴らしく癒される音なのだ。


 単調な韻音の繰り返し、独特のリズム感、変化することない声のトーン、抑揚が乏しい言葉、いや単語。

 ガムランやシタールの調べを耳にしているかのようだ。

 また周囲が雑音なく、静かなこともお経の音楽的な効果を高めている。


 もちろん、お経なのだから、はるか昔の時代から、考え抜かれ計算されつくされたスタイルの結集なのだろう。それにしても驚きだった。


 お経に、潮騒の音とか蝉の声なども重ねてみたいものだ。

 こんな音をバックサウンドにして、一人ぽつねんと本でも読みたいものだ。

 これって、変な感覚なのだろうか?

 それでも自分自身が感じたことを大切にしていたい。