選挙権を持つ年齢を18歳以上とする公職選挙法改正が、今国会中に成立する見込みである。これは成立すれば、早ければ来年夏の参議院選挙から実施される予定である。


 これについて思うこと。

 18歳選挙権は世界的な潮流である。これは理解できる。

 そして私自身も、このことに強く反対を唱える立場ではない。

 それでも言いたいことはある。


 そして、このことに関連して言い古された言葉、「若者の政治参加」だの「若者の声を反映させる」だの、まさにうんざりする物言いである。


 若い世代の投票率は低いことは、政治関係者ならば誰でも知っている事実だ。そして、多くの人々は若者が政治に、ひいては社会に目を向けるよう提言してきた。

 これは何も昨日今日の話ではない。私がまだ若い世代に属していた頃からの話なのだ。昔から言われてきた古いテーマなのだ。それでも若い世代の投票率など向上しない。

 そして、現在議論されている18歳選挙権だって、その当事者たる世代の社会的な運動として盛り上がってきたものではない。あくまで政党間の話、または世界的な潮流だからと、事が進展しているにすぎない。

 たぶんこの問題を契機にして、若い世代の政治的な関心が高まるなんてことはないだろう。


 よく、「昔(たぶん学生運動盛んな時代を指しているのだろうが)の若者は社会に対して働きかけ、社会を変えようとしていた」などという話を耳にする。

 それに対して、現在の若者はどうか。


 多くの若い世代は、政治、そしてそれが動かす社会なるものを信頼していない。というよりも期待していないのだ。これが現実だろう。

 確かに若者の中には、若い世代の声を政治に届けようと、自らが頑張る殊勝な者もいるだろう。

 しかし、そんな感心な連中は少数派だ。


 多くの若者にとっての社会とは、今日明日の天候のように前提条件なのだ。

 だから、意欲のある若者は、「社会自体を変えようとするのではなく、社会における自分のポジションを変えようと」奮闘努力するのである。

 そして、大多数の意欲の薄い若者は、現在ある社会という現実の中で流されるように怠惰に自分との折り合いをつけていくのである。

 良い悪いの評価をしているのではない。これが私が数多く接してきた若い世代の現実である。きわめて現実主義的である。


 ひょっとかして、「社会を変えるのだ!」と息巻いて政治活動をしている、数少ない若者自身が、「実は社会における自分のポジションを変えようともがいている」のかもしれない。

 それはそれで、積極的で評価に値することであろう。