イスラム国のよって捕えられた2人の邦人について、自己責任論を取り上げて論評する話題が多く見受けられるが、みなさまはどのように考えるか。


 私は、あえて言いたいが、まさに「自己責任論」を議論するべき典型的な例だと思う。

 様々な思いはあるだろうが、彼らは日本国の共同体のために、危険な地域に出向いたわけではない。

 あくまでも個人的な思い(それがどのように価値のあるものでも)で行動したのだ。だから自己責任なのだ。これは正論だろう。


 イスラム国側は、自爆テロの死刑囚の解放を条件としている。それに対してヨルダン側は、自国の捕虜になったパイロット(パイロットというと単純な物言いだが、要するに国家のために戦った英雄的な戦士である)の解放を条件としている。

 どちらの国家の立場も明確である。


 ヨルダンの人々の考え、ときおり画面に放映されるヨルダンの一般市民の言葉も、私にしてみれば、ごくごく当たり前の反応である。


 たとえば、いかに人道的な見地があろうとも、どこか遠くの国の人が誘拐されて、その解放の条件として我が国に惨禍を巻き起こした極悪死刑囚(たとえばオウム真理教の幹部など)を解放しろと要求されたら、「何だ?」と感じるだろう。


 本当に邦人を同国人として救いたいのならば、断固たる武力行使を厭わない意志が必要なのだ。

 日本にはそのような力も意志もない。

 だからこそ、このような事態については自己責任なのだ。


 かつて、19世紀の世界では、どのような海賊もテロ組織もユニオンジャックの旗を掲げた者には、どのような手出しもしなかった。

 何かあれば大英帝国の大軍勢が制圧に乗り出す準備(力も意志も)が存在していたからだ。

 残念ながら、日本はかつての大英帝国ではない。だから自己責任なのだ。


 このような当たり前の話を、日本のメディアはきちんと感傷抜きで伝えるべきなのだ。