現代に生きる多くの人々が、健康への過度な要求を抱えている。これは紛れもない真実です。


 では、なぜか?


 健康で毎日を送りたいというのは、誰もが願う、人として当たり前の要求だろう。なにも不思議がることはない。確かにその通りなのだが、、、。

 この意識の背景には、生に対する飽くなき欲求が存在する。

 「こんなことでは死ねない」「まだまだやりたいことはたくさんあるのだ」「俺の人生はこれからだ」「何とか生きながらえて、満たされない思いを成就したい」「こんなことで死んで終わりたくない」などなど。

 結局は、満たされない欲望の先送りで、死にたくないのだ。

 これは真実だ。

 

 こんなことを書いている自分自身の中にも、このような蟠った感情はある。

 もっと成功して、もっと金を稼いで、もっと運に恵まれて、あれもしたい、これもしたい。だからその時まで健康でいたいのだ。

 けっして諦めたくない。だからいつまでも健康でいたいのだ。


 現在の状況はあくまでも仮の状況である。本来ならば、こんな燻ぶった状況ではなく、自分にはもっと光り輝く別誂えの状況があるはずだ。だから頑張ろう。

 その時まできちんと、しっかりと健康でいたい。

 それは、よく理解できる。そして人間の悲しい性だ。

 本来の約束された未来などどこにもなく、誰もが仮の時間を過ごすなんてことはないのだ。

 それでも未来の何時の約束の時間を夢見ている。

 その時までは、なんとか健康でいたいのだ。

 しかし、これは何という「執着」だろうか。


 苦しいこと、悲惨な状況、大いなる絶望、こんなことからはほど遠い位置にありながら、絶えず欲求不満を抱えて、現在の生に執着していく。

 これが健康への過度な欲求につながっていくのだろう。

 なんとも浅ましい。


 しかしこれを馬鹿にすることも、蔑むこともできない。

 これは、現代という時の共通の病なのだから。