日本社会の病理シリーズ、若者の残虐性の続編だが、今回は若者、とくに教育課程にある子供たちの法意識の低さについて考えてみたい。


 犯罪にはいろいろなものがあるが、その罪の大小には違いがあることは周知のことである。

 詐欺や窃盗よりは傷害の方が罪は重いし、傷害よりも殺人、さらには強盗殺人の方が重罪である。

 こんなことは社会で生きていれば当たり前のことだが、この当たり前の法意識を子供のうちにきちんと教育されていないことが、若者の残虐性の原因の一つではないかと思うことがある。


 これは「悪いことは悪いこと」として一括りで考えてしまう稚拙な発想のたまものである。

 よくテレビ画面で訳知り顔なコメンテーターが、汚職をした政治家と、わいせつ行為をした教師と、暴力団と関係した警官と、強盗殺人を犯した犯人とを、あたかも同列の悪い人として論じていることがある。

 これなんて極端な例だが、汚職やわいせつ行為と強盗殺人が同列の罪であるはずはない。

 当然のことながら、現実的な状罪には明確な違いがあるのだが、イメージや無意識のレベルでは何か同じような悪という感性でとらえられやすいことも事実である。


 このようなことを教育現場ではきちんと教えてこなかったのだろう。教師たちは、窃盗の罪がどれくらいで、傷害の罪がどれくらいで、殺人の罪がどれくらいで、とかしっかりと子供たちに教えているのだろうか。

 そしてそもそもの前提に、未成年者(特に少年)は法律により過度に守られているという不条理があるのだ。


 これはいじめの問題にも関連する。私個人としては、「いかなるいじめも悪い」とする立場にある。

 それにしてもいじめにも種類がある。悪口を言う、無視をするという精神的ないじめと、モノを盗む、壊す、けがを負わせるという物理的ないじめを、きちんと分けて考えるべきだ。

 誹謗中傷をするという手の精神的ないじめも良くないが、殴る蹴るといった暴力的ないじめは、いじめというよりも犯罪としてとらえるべきだ。

 なぜか学校現場では、この線引きがきちんとできずに、まとめて「いじめはいけません」との価値基準になってしまう。

 こんなことは子供の世界だけだ。

 一般社会では人を罵倒しても無視しても罪には問われない(名誉棄損などの民事訴訟の対象にはなるが)。しかし他人を殴って傷を負わせれば、すぐさま逮捕されるのだ。

 これが世の中を支配する法であり、私たちは法治国家に暮らしている。


 「いじめを苦にして自殺した、いじめで自殺させた」と「いじめのトラブルで人を殺してしまった」とでは、明確に事の次元が異なるのだ。