現代の日本社会は、なぜこのようなまでに生きにくくなってしまったのだろうか。私などは比較的ストレスもなく自由に生活している方だが、その私でさえ窮屈さを感じるほど、この社会は生きにくくなっている。
よく深夜テレビをつけていると昔のヒット曲を編集したCDセットの宣伝を目にすることがある。そこで流れている懐かしいメロディーの背景となる映像、まさしくバブル崩壊前の昭和の映像に、フッと郷愁を感じる人々は多いと思う。
昭和の時代にも、社会的な矛盾や軋轢は存在したであろうに、現代に比べれば何か牧歌的で安らぎを覚えるのは、なぜであろうか。
現代日本社会の病理と題して、何回かのシリーズで私が思ったことを率直に書いていきたい。
あまり過激な意見を書いていくつもりはないが、できうる限り自分が真実と感じていることを書いていきたい。
それにしても、政治家などの公人と呼ばれる人々が、自由に発言をできなくなったのはいつ頃からだろうか。
極端な暴言や人権侵害の類は良くないとしても、それではなく少しでも枠を外れたことを言うと、強いバッシングにあう。これらの批判はもっともらしい道徳的、または倫理的なパトスをまとっているのだが、どうも釈然としない。
これは由々しき傾向だ。政治家が真実であると思うことを発言できなくて、どうして良き社会が築けるというのか。欺瞞や偽善ほど政治家にとって、本来は最大の罪悪というのに。
ともあれ私は語ろう。
まぁ、どこかの地方議員のように「死ね!」とまでは言わないので、この言説によって私の社会的な立場が危うくなることはないとは思うが、いくらかの批判にさらされることは確かだ。そしてその批判が理知的な批判であることを願うのみだ。
タイトル
1:「怒る人々」
2:「若者に潜む残虐性」
3:「清潔、健康への異常なこだわり」
4:「見た目、イメージへの信仰」
5:「嫌老社会」
6:「思考停止、本質から目をそむける人々」
7:「因果関係と相関関係の混同」
8:「孤独を恐れる、一人は嫌」
9:「スクールカーストに見られる子供社会の異常さ」
10:「嘘を教える教育」
11:「押し付けられた価値の矛盾」
12:「現状維持を願う楽観主義」
13:「クレーム社会」
14:「不寛容な人々」
15:「そして、すべての原因はルサンチマン」