マスコミでは政治家、議員だけでなく広く政治というものに携わる人々の悪が盛んに糾弾される傾向にある。それは明確な犯罪だけでなく、道徳的、倫理的な批判、そしてスキャンダラスなものまで広範囲にわたる。


 先日、とある週刊誌に若い女性の国会議員が恋人と路上でキスをしていたのどうのという記事が掲載された。路上でのキスが上品か否かは置いといて、こんな些細なことまでもチェックされるというのはどんでもないことだ、というよりもこれは国民にとって不幸な状況だ。

 談合や収賄、暴力団とのつながりなど明確な犯罪をただすことは当然としても、プライベートな面にまで政治家の品行方正を求めること自体が、政治の劣化につながっていくものだ。


 これは何も政治の分野だけではない。医者や弁護士、教授など、いわゆる「先生」と呼ばれるインテリ職業の人々に対する世間の厳しい目である。

 しかし考えてほしい。どんなに人間性が下劣な人でも、最高のオペをする優秀な医師は世の中にとって大切だし、残忍な心情の学者でも素晴らしい研究業績を残す者は尊敬に値する。当たり前だ。

 当たり前のことが当たり前に評価されない背景には、醜い大衆のルサンチマンが首をもたげているのだ。


 それでは、政治家にとって真に悪とは、どのようなものだろうか。

 まず、一番の悪徳。個人の信念、またはその者が属する集団の信念にのみ従って政治を行うこと。これは一見「信念がある」などと思われがちであるが、勝手な思い入れや理想論で現実的な政治を取り仕切られたのでは、まわりの人々はたまらない。

 このような状況での悲劇は、古今東西長い歴史を振り返れば数多く存在する。

 社会全体を誤った方向に導くのであるならば、まだ悪事で個人的な私腹を肥やしていたりする方がましというものだ。


 次に、何もしない、問題を先送りにして政治を行うこと。明らかに危機が迫っていたり、時代の流れに取り残されているのに、様々な利害関係の中で身動きが取れなくなり、目の前の現実を見ようとしない、そんな無為な政治(まさに現在の日本の政治状況がこれだ)は、大きな悪徳である。


 つまりは、世の流れに逆らった政治、それを行う政治家こそが、最大の悪徳なのだ。

 なぜなら、それによってその共同体全体がマイナスを被るからだ。

 この大きなマイナスに比べれば、個人的な不作法など可愛いものだ。