トレードを行うにあたっては、他の人々の考えや思惑は無視して、自分独自の規律や法則にしたがって行うことが大切である。
一般社会においては、他の人々と違った考えを持ち違った行動を取ると、変り者とか偏屈者とか言われて、何かと不都合が多いが、トレードではまったく逆である。
そもそも大多数の意見とは何だろうか?
トレードに現れる価格の動き、それを表わした罫線、出来高、取組高とは、多くの人々にとってどのような記号であろうか。
よく、世界万国共通の言葉として例えられるものに、セックスがある。
男女の色恋やセックスにあたっての文化は、食事や法律、他の生活習慣に比べて全世界に共通性があるためだ。
それでも、外国人とは心理的にも性交渉できないと考える人々はたまには存在する。
これよりもさらに万国共通の言葉は、トレードにおける様々な記号だと私は思う。
全世界の人々は、誰もが共通にお金を求めている。万国共通の価値である富を獲得するために、トレードに参加しているのだ。
トレードをする目的は、だた一つである。さらなる富の拡大である。
そのため、日本人だけでなく、アメリカ人も、中国人も、インド人も、あるトレードにおけるサインに対しては共通の感情を抱くし、また共通の思いを込めやすい。
価格の動きに文化的な差異は存在しないのだ。
共通の言語(記号)として、各種の数字や指標を見ているのだ。
そして異なるのは、目の前に示された記号に対する解釈なのだ。
これは国々によっても違うし、同じ日本人トレーダーによっても個々人で異なる。
為替の変動、またはマイクロソフトやトヨタの株価、様々な債権、この価格の変動を廻る眼差しには、まさに世界共通のものがある。そして解釈につては種々万別なのだ。
そして誰もが他の市場参加者を儲けさせようとしてトレードに臨んでいるのではない。何とか自分が儲けようという欲望を前提に参加しているのだ。
この点を勘違いする人が多い。
他の社会的な仕事、業績と違って、トレードにおいては誰もが人のためではなく自分のためにトレードを行っているのだ。
だから、そもそも他者と考えや感情を共有することなどは不可能である。