東京都の猪瀬知事が辞任した。インタビューで「政治のアマチュアだった」との弁から憶測するに、政治家として敵を作りすぎたことが、かくなる結末につながったという彼の思いが伝わってくる。

 彼がどのような局面において敵が多かったのかについては知らないが、この言葉は的をえたものであろう。

 徳州会からの5000万円の借り入れについては政治家として不適切であったことは否定できないが、他にも徳州会からお金を無心しておいて素知らぬ顔の連中は多く存在する。

 彼は標的にされたのは、やはり彼が政治家として敵が多かったからだろう。この政治の世界はとんがった人は嫌われる。まさに「いつもニコニコ腹黒く」の世界なのだ。


 こうみると日本人の特性、日本社会のありようを見ているようで嫌感がする。


 アジアの片隅に静かに佇み、日本人、日本社会の良き点、悪しき点に思いを巡らせてみる。


 日本の社会が、なぜにこれほど窮屈で住みにくいのか、またどこに安らぎがあるのか、思い返してみるのも悪くないだろう。



 まず日本人の悪い特性とは、臆病、ずる賢い、卑怯、妬みやすい、ケチくさい、貪欲などがあげられるだろう。まさ偏狭な小市民といった悪しき人物像に凝縮されるだろう。

 その逆に日本人の良き特性とは、勤勉、礼儀正しい、優しい、協調性、真面目などがあげられるだろう。これは小市民は小市民でも、善良な小市民といった良き人物像に凝縮されるだろう。

 この長所と欠点はどちらも互いに矛盾する類のものではない。しかも共通している点は、市井の市民という大きなフレームで描かれる人物像だ。

 破天荒な傑物、奇想天外な自由人、高潔と悪徳併せ持つ英雄、こんな人物像からはほど遠い。

 これを良しとするか、悪しとするかは、それぞれの価値観次第だが、なんだか「小さな世界で、小さな人間関係の中で、小さく生きて死んでいく」といったイメージが強く、ここから私たちが感じる息苦しさが生まれてくるのであろう。

 平凡な主婦には良いが、情熱湧き立つ男の世界ではないな。

そう、現代の日本は極めて女性的な世界であるのだ。


 しかし明治時代の小説なんかを読むと、また別の日本人像が立ち上がる。日本の人、それは侍、武士の人格であった。矜持と潔さ、高潔な誇り、それが日本の象徴であった時代もあるのだ。

 この美しい、本来の日本的な美徳が消失している現在、アジアの片隅にあって、私たちは何を思うのであろうか。