今日の新聞を見ていての気になったデータ。いまでもいじめは子供たちの世界ではなくなっていない。暗澹たる気分になる。

 いじめの現象は暗い社会の象徴のようなものだ。


 それにしても、いじめの定義も多様化している。「悪口、からかい」や「無視」なども精神的ないじめの範疇に入るのだろうが、いつも不思議に思うこととは、これらの精神的ないじめと暴力や盗難などの物理的ないじめを同列のレベルで論じることである。

 確かに精神的ないじめも悪質ではあるが、傷害などに発展しかねない物理的ないじめとは一線を画して考えるべきだろう。


 この論点は何もいじめだけではない。家庭内暴力、DV、虐待など、本来では障害事件として犯罪性のあるものまでも、異なった枠組みの中で論じられることが多いのが、日本の社会の持つ特殊性だ。

 これは家庭という特異な空間での出来事という認識が強いがゆえであろう。その意味からも、学校という閉じられた特異な空間でのいじめも同じようにとらえられやすい。


 これは危険なことだ。家庭も学校も同じ社会の中にある世界なのだ。

 考えてほしい。道端で他人から罵倒されたからといって刑事罰(民事では損害賠償で訴えられるかもしれないが)は問われない。

 しかし道端で出会った人を殴ったり、その人のものを奪ったりしたら、即逮捕されるだろう。


 「いじめをやめよう」とか「いじめに打ち勝つ強さ」とかの表現では曖昧だが、あくまで精神的なものと物理的なものをきちんと分けて考えていかなければならない。