昭和の頃を懐かしむわけではないが、現代の日本社会はとてつもなくすさんでいるような気がする。これは何も都会だけの話ではないだろう。ニュースなどで報道される凶悪犯行が都会だけでなく地方にも及んでいることをみれば、この状況は全国的なことなのだろう。


 昨日、下町の方面に新しいポスターを貼りに出かけた。内容的に当たり障りがあるので、どこどこという具体的な地名は避けるが、まあ、23区の下町の地域だ。


 このエリアは地理的に明るくないので道に迷うこともある。夕方近くなって道に迷い、小さな駅前の人々に道を尋ねた。

 最初は小学生くらいの女の子を連れた若い母親だった。耳が遠いわけでもないのに、こちらが何回も道順について聞いているのに、そのことわかっていながらまったく表情を変えずに無視している。

 私たちの服装は普通のスーツ姿で、何も怪しい雰囲気を醸し出しているわけではない。まさに、嫌がるでもなく、立ち去るでもなく、まったくの無視なのだ。これには驚いた。

 要するに自分に関係ないことには、いっさいの注意を向けないということなのだろう。関係のない他人には、道を教える気にもならないということなのだろう。

 小さい子供と一緒にいてさえである。いったいこの母親は子供にどんな教育をしているのだろうか。


 仕方がないから、次に客待ちのタクシーの運転手に道を尋ねた。ここでも驚いた。

 道を尋ねると、タクシーの運転手はいきなりメーターを下げて、ドアをあけてきた。私たちは「別にタクシーに乗るのではなく、道を教えてほしいのです」というと、その運転手は怒ったように、「客じゃないのなら、そんなの知らないよ!」と言い捨ててドアを閉めてしまった。

 客にならない、お金にならないのならば、道を教える気にもならないということなのだろう。


 自分だったら、よほど変な相手でもなければ、道を尋ねられたら親切に教える。当然のことだろう。

 街頭活動で駅に立っていると、多くの人々から道を尋ねられる。このようにたとえ仕事中であっても、たいした手間でなければ他人の役に立とうというのが、健全な精神のあり方ではないのか。


 それだけ、現在の社会はすさんでいるのか。そしてその原因は何だろうか。