先日、宮部みゆきの「理由」という作品の素晴らしさについて触れた。そのことを友人に話していたら、この「理由」という作品は彼女の直木賞受賞作ということだった。

 そうか、直木賞か。私が思うには、この作品は「直木賞」ではなく、むしろ「芥川賞」に該当する作品ではないだろうか。人間の本質と生活の営みを鋭く表現した、この作品はやはり「芥川賞」の領域だ。


 そもそも芥川賞と直木賞とはどのようなものなのか。一般的には芥川賞は純文学、直木賞は娯楽文学という区別があるようだが、現代の芥川賞と直木賞をみていると、首をかしげたくなるようなことが多い。

 この「理由」に限らず、最近直木賞を受賞する作品は、これは直木賞ではなく芥川賞だろうというものが多い。そのように感じているのは私だけだろうか。

 直木賞、つまりは大衆娯楽作品の方が、よっぽど人間性の本質や社会のあり方を鋭く表現しているのだ。

 それに対して、最近(ここ10年以上だが)の芥川賞受賞作品は、本当にくだらないものが多い。通俗的な現代の風習に関して薄っぺらく書いたものとか、自意識過剰気味な若者によるつぶやきとか、本当にどうでもよい作品ばかりが、芥川賞を受賞していく。まったくどうしたものか。

 要するに子供の文学なのだ、学校の文学なのだ。「理由」の方が、よっぽど本質的な意味で文学だ。


 宮部みゆきの作品で、「理由」と同じくらい、いやそれ以上に素晴らしいものをあげよう。

 一つは「火車」、これは文句なく傑作だ。もう一つは「レベル7」、これも不思議な魅力がある。


 先ほどは芥川賞のことをさんざんこき下ろしたが、真に優れた作家は芥川賞などには引っかからないのかもしれない。

 意外と知られていない事実だが、戦後を代表する文学者、三島由紀夫も太宰治も芥川賞は受賞することがなかった。

 真の天才は、師を持たずして師になるとも言われるが、、、、