自分にとって残された時間、文字通りの余命について考えてみたい。前回も書いたが「人間の死亡率は100%である」。この事実に関しては、これからも折に触れてしつこいくらい書いていきたい。


 さて、ほとんどの人々は、自分の人生が有限であり、刻一刻とタイムアウトに向けて時が刻まれているなんてことを、日常的には意識することはないだろう。


 では具体的な時間を設定して、余命として残されている時間を考えてみてはどうだろうか。

 余命15年とか、余命20年とかいってもピンとこないだろう。では余命10年ではどうか、余命7年ではどうか、まあ微妙なところだろう。

 逆に考えてみて、余命3か月とか、余命半年とか、余命1年とかであれば、本当に身近な問題として自らの死を意識せざるをえない。では余命2年とかではどうだろうか、まあ微妙なところだろう。

 そうすると余命3年から5年という時間が、この問題の境界線であるように思われる。

 確かに3年とか4年とかは、長いようで短い時間だし、短いようで長い時間だ。当然のことながら、それぞれの人の現時点での年齢にもよるだろう。


 あなたは、あと3年間、4年間、最後に残された時間を使って何をしますか?

 そう問われても、ちょうどよい程度である時間の長さだ。

 それにしても、3年間とか4年間とかの時間は、私自身の仕事柄、意味深い時間とも言える。


「私たちはどこからやってきて、どこへと向かっていくのだろうか」