ドラマが凝縮された時間、多くのものが詰め込まれた長い時間。エンドレス・サマーという言葉があるように、真夏の一夜のうちに繰り広げられるドラマを描いた映画「アメリカン・グラフィティー」のような時間。

 そんな時間を求めていた。特に今年の夏、このテーマを考えるようになってから、そんな時間を渇望していた。ひと夏とは言わなくていい、ほんの一週間、いやほんの数日でいいから、そんな充足した時間が欲しかった。

 

 昨日は身内の地方議員による勉強会を都庁の会議室を使って行った。20人くらい集まって、いろいろと議論した。政治家の仕事としてはまあ有意義な時間だったのが、やはりこれも日常の時間だ。襟の正しい、ありきたりな時間なのだ。


 劇的に心を揺さぶるような、印象的な時間、それを追い求めて、私はどこへ飛び立つのだろうか。


 かつては確かに存在したはずの、逞しい精神が踊るような時間帯。

 当然、それは毎日いつでもという訳はなかったが、突然嵐のように世界をくまなく襲っては、憂愁に満ちた充足感を心に残していったものだった。

 そんな時間の絶え間ない連続、懐かしい時代もあったものだ。現在では、すっかりと時間は空々しく落ち着いている。


 このような時間を追い求める者は私以外にも多いと思う。だから登山やカーレースなど生命の危険に自らを晒して、限界に挑戦するような過激なスポーツが、多くの人々を魅了してやまないのだろう。

 私の場合、何も危険や限界にチャレンジすることで、時間に生命を吹き込もうというのではないが、何気ない日常の時間が、あるきっかけをもって結晶する瞬間はあるはずだ。

 自分を取り巻く全世界が、パズルのごとく瞬く間に、みごとに連携していく瞬間。


 そんな時間を再び体験してみたい。



 「私たちはどこからやってきて、どこへと向かっていくのだろうか」