時間の長さに関する話を個人レベルで展開してきたけれど、これをもっと拡大して社会全体のレベルで考えたらどうだろうか。

 実は同じである。個人の精神が活性化していると短期間の中に多くが凝縮されるように、社会にあっても激動の時代には短期間のうちに多くのものが凝縮される。


 歴史を振り返ってみよう。教科書で習うような大きな事件、または社会の著しい変革は、案外と短期間のうちに展開しているものである。長々と時間を豊穣させれば、世の中が動くといったものではない。変わる時には、あたかも水が氷に変貌するように一気に変わるのだ。

 フランス革命や明治維新などは、わずか10数年という短い期間に成し遂げられている。テレビドラマや小説の世界だと、多くの登場人物や印象的な事件、エピソードに彩られているため、あたかも長い期間にわたっての人間の壮大な営みであると勘違いされやすいが、実の所はわずか10年やそこらの出来事なのだ。


 フランス革命よりも明治維新の方がわかりやすいので、こちらの方を例に取り上げてみよう。

 1854年に浦賀の港へペリーの黒船が来航してから、大政奉還で明治維新の樹立となる1967年まで、わずか10数年の期間である。その短い時間に、やれ尊皇攘夷だの、薩長同盟だの、統幕運動だのが目まぐるしく世の中を吹き抜けていった。

太平の港に見たこともない異国の船が停泊している驚きから、こんなにも短期間にあれほど強固な体制を誇った徳川幕府が瓦解するなど、当時の人々の幾人が想像できたであろうか。

 しかし現実には時代は素早く動いた。


 何も昔の物語ばかりではない。旧ソ連邦の改革を掲げるゴルバチョフが登場してから、幾年のうちにベルリンの壁が崩壊していくのか。

 長く続いた東西冷戦が終結するなんてことを、当時の人々の幾人が想像できたであろうか。

 しかし現実には時代は素早く動いた。


 変革という高すぎるバーは、助走の期間を経ると一気に越えられるものだ。どれほど長い期間の助走があろうとも、助走の季節はいつかは終わる。


 何かのエネルギーによって事態が凝縮されると、きわめて短期間に変革は起こりうる。


 現在の時間を生き抜いてきた、多くの日本人だってわかっているはずだ。

 1945年に全世界を敵にして戦い敗れ、すべてを失って、食べるものも乏しく、とても貧しかった私たちの社会が、わずか40年そこそこで全世界の富を一手に集めて、バブル経済の頂点を極めるなんてことを、当時の人々の幾人が想像できたであろうか。

 そこには何かが確実に介在していたのだ。夢のように充溢した時間。

 だから現在でも多くの日本人があの昭和後期の時代を、最も愛惜をもって懐かしがるのではないだろうか。


「私たちはどこからやってきて、どこへと向かっていくのだろうか」