とても個人的な事柄を書き記すことになって恐縮ではあるが、過ぎ行く時間が長く、多くの驚き、発見、ドラマを思い起こすことができる期間は、私自身の現在までの人生において2回ほどあった。

 一度目は中学生から高校生にかけての12歳から16歳くらいの期間、二度目は30代前半の二回の選挙に落選してから新宿区議会の議席に初当選するまでの期間だ。

 今冷静になって、当時のことを思い起こしてみると、一度目は子供時代の終わり、二度目は青年時代の終わりということかもしれない。

 それまでの自分、主にモノの見方や考え方、獲得していく情報や思考の組み立て方、そんなものが変化していく期間であったような気がする。

 自分が変化すれば、取り巻く環境も世界の見え方も変わってくる。何も変化のない時間は、やはり変化の激しい時間帯に比較すると、やはり漫然としているものだ。


 特に12,13歳からの数年間に獲得したもの、その指向性や感性は後々の人生の選択に多大な影響を及ぼしていく。

 人生は選択の連続だ。いかに個人的な能力、内在する知力、体力、また情報量が豊富であっても、間違えた指向性によって、間違えたこだわりのもと、間違えた選択をするならば、進むべき道も間違えたものになってしまうという残酷な現実が存在するものだ。


 子供時代の終焉は、誰にとっても無限大の可能性が開かれているようで、実際はセロファンによって映し出された影絵のように、ほとんどは実質をともなわない幻のようなものを見せてくれるだけだ。

 お祭りの屋台のインチキくじのように、ちょっとしたことで見えない、わからない事象があまりにも多すぎるのだ。それでもこの時間は誰にでも等しく開かれている。



 「不来方のお城の草に寝ころびて、空に吸われし十五の心」   石川啄木


 不来方のお城とは、彼の故郷である岩手県盛岡市にある旧南部藩の不来方城のことだ。彼はいったいどのような気分でお城まで足を運び、広大な空を眺めていたのであろうか。

 石川啄木というと、「雨にも負けず、風にも負けず」とか「じっと手を見る」とか、いかにも日本の土着的な暗さを代表するイメージがあるのだが、この歌は清々しい傑作と言えよう。

 この石川啄木の歌を私に最初に教えてくれたのも、遥かな日の中学校の先生だった。現在ではその先生の顔すらもぼやけて思い出せないが、この石川啄木の歌だけは明確に心に刻まれている。



 「私たちはどこからやってきて、どこへと向かっていくのだろうか」