どこかのサイトで、こんなアンケートがあった。
「あなたは一人で外食する人をどう思いますか?」
「1人で焼肉店に行けますか?」
「ディズニーランドに一人では?」
そしてこんなコメントも。
「一人で外食する人を見ると、どんなつもりなのかと気分が悪くなります」とか。
「一人で外食する人って、いったいどんな育ち方をしたのだろう」とか。
これはいったい全体、どうしたことであろうか。私にはさっぱり理解できない。このやり取りそのものが理解不能なのだ。
一人で行動(外食も)することは、そんなに変わったことなのか。そんなに珍しいことなのか。一人で外食することが変という人々の精神構造、その心理状況がわからない。
私は一人で外食をする。当然、焼肉屋にだっていくし、カジュアル・フレンチにだっていくし、さらには冬などはカニ鍋やフグ鍋まで、一人で食べに行く。というよりは一人で外食することの方が多いかもしれない。
ディズニーランドは行かないが、一人で映画館やプラネタリウム、高級温泉旅館にも行く。行きたくなったらディズニーランドにも一人で出かけていくだろう。
寂しいとか退屈だとか感じたこともないし、よもや世間の目、周囲の視線など考えたこともない。いつも堂々と楽しく一人で外食しているが、これを当然のことと思っている。
人々に特段迷惑をかけることもないのに、自分が好きなように行動することの何がおかしいのか。まったくもって理解不能だ。
私が一人でフグ鍋を食べに行くという話をした時に、「それは変わっている」と評した者もいた。何が変なことなのか一瞬理解できなかったが、人はそれぞれの感じ方が多様である。そのように感じる人もいるのだ。
だからここで私の心理を説明したい。フグ鍋を食するにあたって、何も別に一人の方が特に素晴らしいと思っているわけではない。たまたま一緒に食べに行く相手がいなかっただけなのだ。一緒に食べに行く相手が見つからないからといって、フグ鍋を食べたいという欲求を我慢するのはバカバカしい。だから一人で食べに行く、それだけの話だ。
また仮に一緒に夕食を共にできる相手がいたとしても、その人が今晩フグ鍋を食べたいかどうかはわからない。その人に自分の欲求を押し付けるのも心苦しいし、また逆に相手の好みを押し付けられて嫌な食事に付き合うのも御免だ。これは相手との信頼関係があるなしとは無関係のことだ。だから私は一人で食事をすることが多い。
何も一人で食べても、仲間と食べても、家族と食べても、その料理の味が変わることはない。また同様に映画の内容が変わるわけではない。アトラクションの内容が変わるわけではない。だから一人で行動する、行動しない云々という議論自体が、意味のないことであるはずなのだ。要は一人で行動することの心理的な壁という問題だろう。
一人で登山とか、一人でスキューバダイビングなんてこと(どちらも一人では不慮の危険をともなう)と違って、日常生活においては一人で行動することには何ら抵抗はないはずだ。
しかし「一人で外食をすること」に心理的な抵抗感を持つ人々が増えてきていることも事実だ。よく高校生や大学生の間で、一人でランチをするのが嫌だとかいう話もあるようだから。
こんな心理状態は子供みたいだ。子供たちは学校世界にあって、よく意味のない集団行動を取ろうとする。大人はいつでも、自分の好きなように一人で行動するものだ。
とても平和な世の中だと思う。激動の社会にあっては、一人で行動するもくそもない。そんなことはどうでもよいことなのだ。