言うまでもなく、「時間」とは人間が作り出した概念であり、全人類にとって共通の客観性を持っていながら、その捉え方はきわめて主観的なものとならざるをえない。


 時間と感覚が放つ不思議。その中でも誰もが感じていること。それは「幼い頃、子供時代、学生時代、そして現在と、人は年齢を重ねるに比例して、時間が経過するスピードが速くなる」ということだろう。

 なぜだか明確な理由はわからないが、おそらくほとんどの人々(年配の方々であればあるほど)が「実感」として感じていることだろう。

 

 ちょうど地平線の近くにある月は、高くのぼる月よりも巨大に見えるのと同じことだ。ビルや屋根などの大きさを比較するものが近くにある方が、天体の大きさを感じやすいとか、もっともらしい理由が述べられることもあるが、どうも感じ方としてはしっくりこない。地平線の近くの月は、私にとって明確に巨大なものとして見えるのだ。


 人間が感じるものは、きわめて主観的なものであるので、感じ方に明確な理由などは存在しないのであるが、大多数の人々が同じく感じるというのであれば、そこには何かしらの「わけ」があるはずだ。

 ちょうど誰もがキャンプファイアーの炎に安心を感じることが、人類の原初にある封印された記憶に根ざしているように。

 しかし「時間」とは誰にでも等しく与えられているし、世界中どこでも同様に進んでいく。これは現代人特有や日本人特有の感じ方であろうか。多くの文学作品を読む限り、そのようではなさそうである。


  この問題に対して、何とか理由をつけようとする試みもある。多くは以下の3つに集約される。


1)若い時代から歳を取ると、身体機能とともに脳の認識能力や記憶能力も衰えるため、多くの情報を蓄積することが困難になるため、記憶も曖昧になり、その結果として時間が経つのが早く感じる。


2)10歳の時の一年間は全人生体験の十分の一の時間であるが、30歳の時の一年間は三十分の一であり、60歳の時の一年間は六十分の一ということになる。自分の経験した時間量からの比較を考えるならば、当然若い時代より歳を取った方が時間は短く感じられる。


3)若い時代は経験が少ないので、何事も刺激があり発見に満ちている。年齢を重ねると何事も見えてくるし、生活もルーティーンになりがちだ。このことが時間の経過を早いものとして感じさせる。観劇でも散歩でも、初めての時の方が時間的には長く感じると言うではないか。

 いろいろな理由があろうが、何だか自分は3)の理由が一番正しいような気がする。(あくまでも気がするということだが)



 「私たちはどこからやってきて、どこへ向かっていくのだろうか」