「ジギー・スターダスト」といえば、言わずと知れたデヴィト・ボウイの名作中の名作だ。本当に久しぶりにこのアルバムを聴いてみた。これも不思議なことだが、ここ数年は彼のアルバムや、また同種(実際は同種ではないのだが)ともいえるT・レックスなどはほとんど聞いていなかった。

 自分自身の思い出、学生時代、特に大学2年の真冬(現在は真夏なのだが)の時間がダムを切ったように溢れ出し、心ならずも感動してしまった。とても暗く透明度の高い時代だった。(といっても20年以上前の話だが)

 確かに素晴らしい一枚だ。「私が無人島に持っていくアルバム10枚」のうちの一枚には必ず入るだろう。


 改めてすべての曲の歌詞をオリジナル、日本語訳と確認してみた。ライナーノート(真貴朋子という人が書いたもの)の文章が良い。ここでその内容を少し抜粋してみたい。


 デヴィット・ボウイは一貫して、近代精神への警鐘、宇宙と音楽との融合、神の絶対性への疑問、狂気と死、家族の抑圧感というテーマに取り組み、人間共通の夢と絶望の繰り返しを表現してきた。そして新たにスターダム(偶像)というテーマを加え、架空のキャラクターにメッセージを伝達させるという斬新なアイデアを完成させたものが、この伝説の「ジギー・スターダスト」という作品だった。

 ジギー・スターダストは、様々なものを包含した天才的な作品として、ほとんど全世界に認められた。その成功は単に音楽のヒットという範疇にとどまらず、文化や世界の潮流にさえとてつもない影響力を持つ無二のプロモーションを実現したのである。


 彼女の語る、そのままの傑作である。しかも時代を先取りしていた。悲しいかな、これが現在へとつながる全世界的な新たな価値への道程なのだ。


 そしてジャパニーズ・クールという言葉。すでのこのアルバムの中でも、「Cat from Japan」というフレーズがあり、「日本からやってきたクールな奴」と訳されている。クラッシュの「ロンドン・コーリング」の中にも日本のクールな奴というフレーズがある。もう30年も前の話だ。

 そういえば、デヴィット・ボウイやクィーンを世界で一番愛したのは日本の若者だった。なんせクィーンは日本語の歌(「手を取りあって」)を名アルバムに収録しているくらいだから。


 ここに世界の最先端をいく悲しくも美しい日本の文化土壌が存在したのだ。ジギー・スターダスト、時は1970年代。まだバブル時代に突入する直前の薄明かりの時代だった。