欲や恐怖が人間の正常な認識を捻じ曲げるということのもっとも顕著な例が、トレードの際の行動である。自分が何のポジションを持っていない時には、冷静な思考で値動きや罫線を分析することができるのだが、いったんポジションを有すると、そのトレード行動にそったように認識が変わってくる。


 様々なテクニカル分析の手法の中でも、自分の仕掛けたトレードを正当化するような指標ばかりが目にいってしまい、自分の現有するポジションを否定するようなものは目に入らなくなるものである。


 だから多くの人々はトレードにあって、自分のポジションが曲がっていても、あえて「損切り」をせずに、だらだらと「ナンピン」をしてしまい、結果的に損失額を膨らませてしまうのだ。

 

 いよいよ自分のトレードが明白に失敗となって莫大な損失を受け入れる心になった時に、はじめて現在までの状況が正しく見えてくるものである。一度見えてくれば、不思議なくらい明らかな状況であったのだ。

 「なぜ、あの時点ですべてのポジションをたたんで、ドテンして逆のトレードを仕掛けなかったのだろうか?」、何度自問をしてもわからない。欲と恐怖の渦中にあるものには、けっして見えない、わからない、認識されないことがあるものだ。


 また見たくない現実から逃避するために、トレードを放置するということもある。「もうだめだ、しかしそのうちに状況は好転するだろう」との投げやりな態度で、事態の悪化に対して傍観してしまう。

 そう、トレードではこのように消極的に負けるということがよくある。ギャンブルならば、意識的に掛け金をベットしなければ負けない。いわば積極的に負けるのだ。しかしトレードでは放置、思考停止によって消極的に負けるのだ。ここが恐ろしいところだ。

 これは何もトレードだけではない。事業などにも当てはまることだ。どうしようもない状況に対して何らの手を打たないこと、それによってズルズルと消極的に崩壊していく。もしかしたら一国の国家の衰退も同じような現象のもとで進行していくのかもしれない。


 明らかに認識される危機に対しては立ち向かうことができるが、認識されない危機に対しては人間も社会もいとも弱く崩れていくものだ。