誰でもが自分の人生の時間の中に「リアル」と「バーチャル」を共存させている。


 ここで言う「バーチャル」とは何もおとぎの国の世界、存在しない魔法の空間ということではなくて、あくまで自分を取り囲む人間関係などの現実とは別の世界、自分だけの空想の世界や趣味の世界、という意味において考えている。


 だから何がしかの趣味人やオタクにはまる人々の日常生活のある部分(けっこう大きな部分)は、彼らにとって実人生における家族や仕事とは別物のバーチャルな世界ということになる。

 どんな趣味人やオタクでも食べて寝なければ死んでしまう。つまりリアルな生活をまったく無視しては人生そのものが成立しない。リアルな人生をまったく無視できるのは、およそ精神病患者や麻薬中毒者くらいであろう。


 要は誰にとっても、「リアル」と「バーチャル」な部分のバランスなのだろう。


 リアルな人生における充足感こそを大切にするようなある種の人々も当然ながら存在する。彼らはさしたる趣味や娯楽を持たずに、現在取り組んでいる仕事、その仕事の成功による富の獲得、および自己の社会的な地位の向上、家族や部下など関連する人々の繁栄こそを楽しみ、そこにこそ自分のエネルギーを費やす。

 現在でも意外とこの手の人間は多い。そしてある意味では彼らの人生は、その社会的な上昇は継続しているうちは幸せなのかもしれない。たとえ一時的な挫折に遭遇しても、この種の人々は、そんな苦難なリアルでせえも、「今後の自分を成長させる糧」として前向きに捉えることが多い。

 「そんな健全でポジティブな人って多いのかしら?」と首を傾げる方もいると思われるが、別にこれは特別な人間ではない。人間として、ごくごく当たり前の正しい姿なのだ。


 かつての日本の社会、日本のみならず全世界的にも、このようにリアルに生きる人々こそが絶対多数派であった。そのようにリアルに生き抜かなければ、そもそもバーチャルな世界の構築など夢のまた夢であったからだ。

 それこそ一部の恵まれた金持ち、特権階級の人々だけが、リアルな人生から逃れてバーチャルな自分だけの世界に暮らすことができたのだ。


 しかし現在は違う。一般庶民でも、簡単にバーチャル世界を獲得できる。だから多くの人々が困難なリアルな世界からバーチャルな世界へと大移住してきているのだ。

 これは「善い悪いの問題」ではない。紛れもない一つの現実なのだ。