前回は、過去のアグネス・ラムの映像に魅了されて、彼女の大ファンになる現代に暮らす若者の話を例に取り上げたが、この話をした幾人かの友人は口々に「そんなバカなことってあるのかなぁ」と首を傾げていたが、このようなことは充分に起こりうることだ。


 私自身の体験談を語ろう。いつだったか呑み歩いて深夜遅くに自宅に帰ったときのことだった。静かなリビングで一人、酔いを醒ますためにコーヒーを飲みながら、見るともなくテレビの深夜映画を見ていた。

 いつの映画であるかは定かではないが、モノクロの画像や映し出される背景から、相当昔の日本映画であることは確かだった。

 詳細なストーリーは忘れたが、よくある恋愛映画のようだった。ボーっと画面を眺めていた私の意識に飛び込んできたのは、まさしく絶世の美女とも思われるほどのヒロインの姿だった。彼女の美しさやしぐさの魅力のために、結局は最後までその映画を観るはめになった。とのかくその美しいヒロインを演じている女優の名前を知りたかったのだ。

 映画が終わり、字幕で出演者の名が流れていき、その目当てのヒロインを演じていた女優の名前を確認した時に、私は呆然となってしまった。というよりも複雑な気分になった。


 その人の名前は、「岩下志摩」であった。あの人はかつて若い頃は、あんなにも悪魔的に美しかったのか。(失礼にならないように言うが、現在でも彼女は年齢相応の美しさをたもってはいるのだが、、)

 彼女から現在連想されるイメージは、「極道の妻」シリーズの姿である。多くの現在に生きる日本人にとっても、やはり「極道の妻」であろう。

 そして若い頃の彼女がいくら美しかったからといって、私は若い頃の彼女の作品を集めて観るようなファンにはならなかった。

 しかし現在の「極道の妻」の彼女を知らなかったならば、きっと彼女の大ファンになっていたかもしれない。


 まさに私自身が、例の「アグネス・ラム現象」を身をもって体験したのだ。若干異なるのは、アグネス・ラムの場合は現在の彼女の姿が露出していないということだ。だから時間軸のズレからくるバーチャルを、よりリアルに感じることができるのであろう。


 このように時間軸を変えることで、バーチャルなものでもリアルなものとして立ち現れることがある。


 感じる者にとっては、どの時点での対象に、どの時点で接触するかが重要なファクターである。過去も現在も同一のイメージで多くの人々を魅了することなど不可能であるのだから。


 しかし世の中には驚異的な例外も存在する。先のロンドン・オリンピックのレセプションで演奏したポール・マッカートニーの姿を見て驚いた。50年近く前のビートルズのノリとそんなに変わらないではないか。そういえばローリング・ストーンズのミック・ジャガーもそうだ。彼らは化け物なのか?、私たちの時代の集合的無意識が創造した神がかった一つのシンボルなのか?