先日、埼玉県の大宮で開催された女子留学生の日本語による弁論大会に出席した。その中でも埼玉大学の大学院に通う生徒による「日本語表現の曖昧さ」というスピーチには考えさせられる点があった。

 外国人、すなわち外国語を使う人々からすると、日本語ほど曖昧な言語はないらしい。(ちなみにそれに比較してフランス語などは、きわめて論理的な言語である)その時々の状況や文化的な背景によって、言語の意味するところが変化するからだ。


 彼女は一つの具体例として、「ちょっと」という日本語をあげて説明していた。「ちょっと」という言葉は、数量的にも、時間的にも、感情的にも、「少し」という意味で通常は使用される。「ちょっとだけ盛って」とか「ちょっと待って」とか「ちょっと変だ」とか。

 彼女が買い物をした時のエピソードが語られていた。「マンゴージュースありますか?」に対して、店員は「すいません、ちょっと」と返答したらしい。当然、彼女は「少ししかない、少しならある」という意味でとらえたのである。しかし日本語としてのこの場合の「ちょっと」は「ごめんなさい」の意味だった。

 「ちょっと」という言葉にはこのような意味もある。たとえば、「今日は呑みに行かないか?」「今晩は、ちょっと」というように。

 日本語に幼い頃から慣れ親しんでいない外国人にとっては、まさにチンプンカンプンであろう。


 またその場の文脈や共通する価値背景によって、言葉の意味自体が正反対になる場合もある。


 「けっこう」という言葉。旅館の女中さんが、「お風呂の湯加減はどうですか?」「けっこうですね」、この場合は「良い」の意味だ。セールスマンが、「値上がりそうな株を買いませんか?」「けっこうです」、この場合は「嫌だ」の意味だ。


 「ヤバい」という言葉。変な臭いがして、「何かヤバくない?」、この場合は「まずい、危険だ」の意味だ。学生たちが、「この焼きそばの味はヤバくない?」、この場合は「とても美味しい」の意味だ。



 日本語は難しいんだなぁ。




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タイの留学生。日本の物価の高さに驚いていた。タイでは一本10円そこそこのミネラルウォーターが日本では10倍以上の値段で、とても困っているとか。それにしても日本以外の国々では、普通に水道水の水を飲むという習慣が想像できないらしい。これも文化の違いか。