また続けてピグの話。わからない人はごめんなさい。ピグの世界に関心がある。単に育成ゲームとして楽しいというよりも、この世界に現代社会を生きる人々を考える際のヒント、その問題性を見るときの縮図があると思うからだ。


 前回はピグの世界でイベントをクリアーしてアイテムを獲得することが、実社会における「流行を追いかける」消費行動と似通っていると指摘した。裏返って、このピグの世界でも実社会の縮図が意図的に立ち現れるのだ。

 イベントをクリアーする報酬の中には、というよりも主たるものには、ピグに着せる洋服(それは帽子だったり、靴だったりもする)がある。イベントごとに、与えられるファッションは変わっていく。

 私はそんな細部のことにはこだわっていなかった。しかし、ある時に気が付いたのだ。ゲーム参加者が集まる広場では、誰もが現在進行しているイベントでのファッションを身に着けていることを。

 たまたま私は昔のままのファッションでいた。ちょうどヒマワリ柄のやつだった。しかし辺りを見渡すと、そんな恰好をしている者は誰もいない。誰もが現在進行中の芸儒家風の帽子を身にまとった最新のファッションなのだ。

 その状況で私は何だか自分が気恥ずかしくなった。そして着替えることにした。ピグという架空の世界、あくまでもバーチャルの世界での話だというのに。でも感情とはそんなものだ。


 よくよく考えてみると、イベントは次から次へと変わっていくので、一つのファッションは一時期使用されると、それ以降は二度と着られることはない。完全にお蔵入りなのだ。

 しかし、実世界でも同様ではないか。最新のファッションを追いかけて、やたらと新着の服やらバッグやらを次々と購入していき、気が付いたときには使われていないバッグや着られていない服やらが、わんさかとクローゼットに山積みになっている。これはよくある光景だ。


 そしてピグの世界から実世界を眺める要素として、ファッションを例にあげたが、何もファッションだけに限らない。AKB48の世界に夢中なアイドルおたくだって、同じような行動原理で動いているのだ。


 ピグの世界も実世界も同じようなもの。リアルもバーチャルも同じようなもの。なぜならそこに対峙する人間が同じものだから。