ピグに関する話の続編。毎回毎回行われるイベントのクエストをクリアーするように追い立てられるように、もしくは課金という代償を支払って、ゲームに参加する人々の心理状況を小馬鹿にするわけにはいかない。むしろこのようなことは、オンラインゲームという個人のささやかな趣味として捉えるべきであろう。


 なぜなら、私たちのリアルな日常生活そのものも、資本主義社会における「消費行動」という観点に立つならば、しょせんはピグの世界と同じようなものなのだから。


 ピグの世界で行なわれるイベントに追い立てられるように、やれファションだ、やれ新車だ、やれ流行のライフスタイルだといった具合に、日々の消費行動に急き立てられているではないか。

 

 ピグのイベントに参加する必要がないのと同様に、毎日の生活における消費の大部分はどうしても必要に迫られてというわけではない。

 ある種の価値観や共同幻想、さらに端的に表現するならば消費へのあくなき脅迫観念によって、私たちは消費行動をする。そしてその消費行動を先へ先へと進めるためのお金を求めて、毎日毎日せっせと働いていくのだ。

 私は問いたい。「あなたが一生懸命になって手にいれたものは、本当にあなたにとって大切なものであるのかどうか?」


 多くの人々は、そんなことすら自問せずに日々の消費生活に夢中なのだ。

 これって、馬鹿馬鹿しくないか?ピグのゲームに夢中になる連中となんら変わることはないのだ。


 まさに、人間の行動原理においては、実のところリアルもバーチャルも変わることはなかったということだろう。だから、どちらが良いかなどとは、究極の意味では判断できない。