モノの考え方、通常の思考が感じ方に影響をあたえる例をあげれば、それこそきりがなく話は永遠に続いていくが、もう一つだけ私が体験した事例を書いていきたい。

 

 文化や価値観が異なる世界における異文化間では、このような傾向はさらに著しい。文明社会と未開社会との差までいかなくても、同じような感じ方を共有していると思っていても、そこには気が付かないような再が存在する。


 学生時代に妹とロンドンで生活していたことがあった。大都市の中にある広い公園のベンチに腰かけていた時のことだ。可愛らしいリスが数匹やってきた。妹は喜んで手で触ったり、膝の上にのせたりしてして、リスと戯れていた。別に何ら違和感を感じない、どこにでもある微笑ましい光景だと見ていた。

 すると周囲のイギリス人たちは、大人も子供も「びっくり仰天」したのだ。そして恐れをなして私たちから逃げるように去って行った。

 このことを不思議に思い、後で話題にすると、話を聞いた人々もみんな驚いていた。「どうしてあんな汚いもの(リス)に触るのか?」ということだった。

 私たちにとっては、公園のリスは可愛い小動物でも、彼らのとってはゴキブリやドブネズミのように「病原菌を運ぶ汚れた忌み嫌う存在だったのだ。

 確かに外人の若い女の子が、手にゴキブリやナメクジをのせて喜んでいる姿を見たら、誰でも驚いてしまうだろう。


 普通にロンドンの街を歩き、買い物をしたり、食事をしたりするだけでは、けっして気が付かないような感じ方の差異だ。


 そんな話を母と話していたら、こんなエピソードを聞かされた。終戦後まもなく、子どもだった母の一家で当時は珍しかったコカコーラを祖父が取り寄せてみんなで飲んだことがあったそうだ。

 今では誰でも普通に飲むコカコーラだが、その時に初めて試飲した人々全員が、「気持ち悪い」「こんな飲み物は誰も口にはしないだろう」という感想を抱いたそうだ。

 何が気持ち悪いって、やはりあの黒い色だったそうだ。確かに真っ黒い液体はその味云々の以前に、当時の日本人にとっては不気味さを与えたのだろう。